2007年5月21日月曜日

水谷先生講演要旨


2006年7月2日(日)、ビエント高崎エクセルホールにおいて水谷幸正先生の講演会が開催されました。演題は「正と死」です。
以下、その要旨をお知らせします。

私は今から60年程前に高崎に来たことがあります。その頃と比べるとずいぶん変わりましたが、高崎とは縁を感じます。しかし、それよりも慈怡法師に対する縁があります。私はそれまで社会や世界に対する事をある程度知っているつもりでいましたが、慈怡法師と話をしているとそれが井の中の蛙であることが分かりました。星雲大師が仏教を世界に広める活動をしている事を知り、感動したのです。
 さて、私達は話を耳で聞きますが、仏教の話は心で聞きます。本日の演題は「生と死」です。生きるとは何かということなのですが、「人間として生きる」ということに関しては職業を問わず、全ての人に共通しています。
 「死」については若い人は余りピンときません。お坊さんは50代、60代は鼻たれ小僧、70歳で一人前と言われます。これは死に対する問題を自分の問題として受け止めることができるからです。
 仏教とは何か、これは大変な質問です。6000のお経があり、2500年かかってお坊さんが論じているのです。そういう中で、お釈迦様の教えで大切なことは、ほっく教(?)が一番古い教えでその中の182番目に出てくるのですが、①人として生まれることかな、②限りなき(ある?)命、今あることが有難し、と言われています。このことから仏教の教えが始まるのです。
「人として生まれること」とは、砂を指で拾い上げたとき、指の上にある砂はその下にある砂のほんの一部でしかないのと同じことです。私達はお釈迦様の指に拾い上げられた砂の中にいる有難い存在であり、この事から生き様が出てくるのです。
 また「限りなき命、今あることが有難し」というのは、言い換えれば必ず死ぬ命だということです。私達は明日死ぬかも知れないのです。私のような年になりますと死にたくない気持ちが半分、死んでも仕方がないというあきらめの気持ちが半分あります。むしろ若いときのほうが国家のために死んでいくという気持ちがありましたから、死に対する気持ちは強かったです。
 世界では50近くの紛争があるそうですが、日本では60年平和な社会が続きました。それで日本人は平和ボケしています。ですから死ぬというのも頭で分かっているだけなのです。
 医者から余命を宣言された患者がその期間を過ぎても生きている場合、生きていることを有難いと実感します。
 盲亀の例え話がありますが、盲亀が100年に一度海面に顔を出したとき、そこに流れてきた木にぶつかることを考えてみて下さい。これは100年に一度でなくて1年に一度でもよいのですが、それは非常に難しいチャンスです。人間が生まれたのもこれと同じで、有難いのです。
 「生」という字には辞書などによると25通りの説明がありますが、それらは大きく4通りに分けられます。一つは生産、出産等で用いられる「生まれる」という意味です。また、生活等で用いられる「生き生きしている」という意味もあります。それから、生育等に用いられる「育つ」という意味、そして生ビールや生一本等に用いられる「新しい」という意味があります。これら4つの意味で生きていますが、それらを総合したところに意味があります。
 先生の「先」はリードする、先導するという意味ですので、生き方をリードするのが先生ということになります。また学生は「生を学ぶ」という事ですので、生きることを学ぶということです。
 それでは、生きるとは何かということについて、これを生きがいと呼びますが、それは人それぞれです。生きがいには①立身出世、②豊かな生活、③家庭円満、④趣味、そして⑤福祉や介護、ヘルパー等のボランティア活動などがあります。この中で5番目が一番良い生きがいだと思いますが、これらの生きがいの中から人生を選んでいくことになります。
 以前「でも、しか先生」と言われた時代がありました。これは民間企業にどんどん就職が決まっていく中で、「先生しかなれない」、「先生にでもなろうか」という社会状況を風刺したものですが、それに習えば現代は「でも、しか人生」ということになります。何かやりたいことがみつからず、「何でもよい」、「どうでもよい」、「ただ生きるしかしょうがない」という人がいるのです。同じ「でも、しか人生」であれば、「このままで良いのか、私のようなものにはこれしかないが、それでも良いのか」という自分に対する厳しい反省や、「私にしかできない」という意気込みを持った「でも、しか人生」の方が良いでしょう。
 よくエリートコースと言われますが、人生は60歳、70歳を過ぎてからが本当のエリートコースです。それに向かって歩んでいくのが大切であり、エリートコースに入っていくことが人生の醍醐味です。
 ところで、本日の演題「生と死」の「死」についてですが、残り時間が少なくなってしまいました。「死」について「必ず死んでいく」ということは頭ではなく腹で覚えてもらいたいと思います。死の特徴は①誰でも必ず死ぬ、②死ぬ時期は不明、③自死(?)は許されない、④一度きり、ということです。それでは何を持って死となすかですが、死とは何かという宗教的、哲学的な死というものもありますし、社会的な死、医学的な死、主体的な死(自分で死ぬ)というものもあります。仏教では脳死を認めておりません。
 「今までは人のこことと思い知り、俺のこととはこりゃたまらん」という句がありますが、「仏教は死を先取りして今を生き、また死を先取りして生を考える」ものと言えるでしょう。
 ご清聴ありがとうございました。