星雲大師傳 『傳燈』より
私の人生も七十年を超えました。私はずっと一人の「道をひろめることを日常とし、よく生きることを求める」平凡な和尚として生きてきました。まわりがいかに変化しようとも、自分がいつも多くの恩恵を受け、人々とのよき縁を結べることを幸いに思ってきました。こうやって小さい頃から出家者としての聖なる使命を達成しようとしてきました。近年、たくさんの方が私に関心をもってくださり、私の生涯に関する記事や本が形になってきています。その中には私を高く評価してくださっているものもあれば、批判、非難されているものもあります。どちらにも私は心を乱されることはありませんでした。心ない誹謗中傷であろうと、讃美であろうと、それらはいずれも仏教を学び、修行する私への贈り物、私という存在を映す鏡として受け取っています。
揚州から車で40分、江都という素朴で閑静な県がある。この江都県仙女廟近くに星雲大師の生家がある。
春早い三月、うぐいすが飛び、蝶が舞い、桃と李の花が艶を競って江南の新緑を引き立たせる。古くから文人を多く輩出した古都南京から車で三時間の道のりで、揚州の地に入った。
揚州は古くから有名で、大禹の商時代にすでに九州の一つであり、隋の煬帝の時に大運河が開通して以来、南北の経済文化の要所となった。揚州は長江の出口に位置して、風光明媚であることから、古くから文人がよく訪ねる所である。清の乾隆帝は六回も江南を遊覧したという。李白が孟浩然を広陵に送る時、
故人西を辞して黄鶴楼
煙花の三月揚州に下る
孤帆遠景碧空に尽きて
唯長江が天の際を流るるを見る
と詩に詠んだように、風景の美しさがうかがわれる。
<佛光世紀 特集号>