2007年9月12日水曜日

なぜ仏さまを拝むのですか


 仏さまにお詣りする時、どう祈りますか。「どうか、願いがかなえられますように」、「どうか、お助け下さい」、「おかげ様で思うとおりになりありがとうございました」など、自分の願い事やお礼を言って仏さまに掌を合わせることが多いのではないですか。
それでは、何故お祈りをするのでしょう。仏さまは自分より“大きな力”を持っておられるので、その力を発揮していただこうと期待し、すがるわけです。そのときは自分の力を過信する心はなく、自分よりももっと“大いなる力”があることを認めて、それにすがるという心です。大いなる力を念ずるとき、自分は謙虚になっています。
 人間は何でもできると考えるのは思い上がりです。人間が生きていくのに必要な空気や家、洋服でも、何一つ自分の力で作り出したものはありません。
今、自分が生きていること自体が全てのものに支えられて生かさせてもらっているのです。また、親子、兄弟、友人、近所、会社等等、自分が関係している人との輪を広げてゆくと、まさに網の目のような関わりの上に自分が置かれていることに気がつきます。
みんなのおかげで生かさせてもらっているのだと気付いた時、心から感謝せずにはおられません。
この私をとりまく“大きな力の動き”を「仏さまのいのち」といいます。この仏さまへの感謝の気持ちが、仏さまを拝む心です。
仏さまに祈る心は「私も一生懸命に努力しますから、どうかお力を貸してください」という祈りでなければなりません。何ひとつ努力しないで仏さまにお願いしても、それはかなえてくれません。仏さまは、あくまでも私たちがしていることの“後押し”をしてくださるのです。
仏さまが力を貸してくだ
さるときは、それによって皆の幸せに役立つことにつながり、或いは本当に仏さまのことを信ずる心が更に深くなるときに手をさしのべてくださいます。
それも仏さまが直接ではなく、むしろ、あなたの周りや人や物を通して、そっと手助けをしてくださるのです。ですから、あなたが一生懸命努力しているとき、思いがけないような人が助けてくださったり、事がスムーズに運んだりしたときは、きっと仏さまがお力を貸してくださったのです。
もし、そのとき、すべて自分の力でできたことだと思ったならば、仏さまはもっと悲しい目であなたをみられることでしょう。
楽しいことも、悲しいことも、すべて「おかげさまで」と、心から素直に受け取れるとき、仏さまはにっこりとうなずいてくださいます。仏さまはいつも私たちを見守ってくださっています。    釈 覚勝
<佛光世紀9号>