2007年5月25日金曜日

供僧法會 「星雲大師生誕80周年記念」


     「供僧法會に参加して」

2006年は開山40周年、大師生誕80年という節目の年、また、この様な時に本山行事に参加できることに感謝の念が尽きません。
8月14、15日の2日間、會長と参加しました。
13日(金)慈怡法師、妙耀法師と高雄に向かい、20時に高雄空港を降り立つ。近年の東京の蒸暑さに慣れてはいたものの、やはり南国、ムッとする。會長と合流し本山へ。
翌日、業林学院卒業式に同席しましたが、奨学金を受け卒業した学生が主で、厳しい境遇のなか、勉学の志を強く持った学生の晴れ姿は、近年の日本の学生にはなく妙に大人びて、しっかりとしていて、眼は遥か上を見据えていたのが印象的でした。
佛光の夜では、佛光山の支援(既に寺院等も設立している)で今回初招待を受けたアフリカの子供達約20名が3カ国語で佛教歌を披露して拍手喝采を浴びていました。
夜は今回だけ特別に花火が打上げられ、記念行事に華を添えていました。
14日最終日は、5時から本年恒例の朝山(不二門から大雄寶殿まで心倍和尚を筆頭に1時間30分かけての三顧の礼?をしながらの礼拝行進)。終わると會長も体から湯気を出しておられましたが、邪念が払われたのか清清しい気持ちになりました。
大師80歳を祝う供僧斎宴(宴席)では、昨夜のアフリカの子供の芸を始め、各国協会の有志披露を鑑賞しながら豪華な粗食を大師と供に頂きました。
来年から大師は表舞台を控えられるとのお話もあり、いよいよ佛光山寺も第二ステップに入り、「佛光普く三千界を照らし、法水常に五大州を流れる」という大師の教えを基に、後世においても佛光浄土の益々の繁栄を願って止みません。
<佛光世紀 特集号>

台湾の刑務所へ『人間福報』を寄付

2006年、日本総本山群馬佛光山寺建設予定地を訪れ、大和協会と親睦を深めて頂いた中華総会松山第五分会と共に、刑務所に人間福報(日刊紙)を送る活動に参加しました。“囚人が刑期を終え社会復帰する為の良書としての役割を果たす”として、喜んで頂いております。
<佛光世紀 特集号>

「水谷幸正先生講演会」出席会員の感想報告


    「有意義であった講演会」

水谷先生は仏教大学の教授、学長を歴任され、現在は浄土宗の宗務総長を務められる傍ら、マスコミにも登壇される等、日々多忙な方であられるとの事でした。そのような高名な先生が群馬県に来られ、講演をされること自体が極めて有難いというお話をお伺いし、国際佛光會を通じこのような機会を与えて頂けたことは誠に有難く、講演を快諾して下さいました水谷先生をはじめ、関係各位のご尽力に心から感謝と敬意を表します。
講演の冒頭、水谷先生が国際佛光會との縁について述べられました。私はそのような先生が何故宗派を超えて国際佛光會の顧問をなされているのか関心がありましたが、先生が「自分は井の中の蛙であった」と述べられとき、ご謙遜であられることは承知しながらも驚かされました。水谷先生は国際佛光會が仏教を世界に広める活動を行っていることを知り、感動したと仰られました。私は水谷先生が国際佛光會の活動を評価して下さっていることに感謝の念を抱くと共に、水谷先生が心の広い方で、仏教を本当に大切になされている姿を垣間見ることができたことに、より大きな感動を覚えました。
さて、講演は「生と死」という題でした。このような緊迫感があり、かつ物事の本質を突く演題は水谷先生であられるからこそ話すことができ、また現代社会に対する警告も含んでいると思い、心静かに拝聴させていただきました。水谷先生は「仏教は死を先取りして生を考える」と仰られました。これは「死」があるから「生」があるということで、「死」について深刻になればその反対にある「生」の意味がとぎすまされ、逆に「死」が自分から遠いものになれば「生」の意味も薄れるということだと思いました。命の大切さが叫ばれる現在、これは重要な指摘です。また、水谷先生は「必ず死ぬということを頭でなく腹で覚えてもらいたい」と仰られ、「人として生まれたこと」、そして「今、命があること」が有難いものだと力説されました。貴重な今を生きているという自覚のなかった私にとって、水谷先生のお話は本当に考えさせられました。
水谷先生は加えて人の生き方についても言及して下さいました。人には様々な生きがいがあり、私達はその生きがいを持ちながら人生を歩んでいくというのです。そして、人生は60歳、70歳を過ぎてからが本当のエリートコースで、それに向かって歩んでいくことが大切であり、エリートコースに入っていくのが人生の醍醐味だと諭して下さったのです。これは水谷先生のお話しに反省することしきりの私に希望と方向性を持たせて下さいました。
最後になりましたが、今回の水谷先生の講演は時宜を得て、私の心と行動を正す意義深いものとなりました。今後も水谷先生がご健康でより一層ご活躍なされることをお祈りすると共に、国際佛光會の益々の発展を心より祈念いたします。
<佛光世紀 特集号>

2007年5月24日木曜日

「国際佛光會亜細亜聯誼会」参加報告


   「アジア聯誼會に参加して」

 台湾高雄の佛光山寺本山訪問は、今回で何回目だろう?と思ったとき、片手以上訪問していることに我ながら少し驚いている。だからなのだろうか、いつもの空港ロビー、いつもの待合室、いつものフライトと、最初感じていた新鮮さが今は隣町に行く感覚で、気持ちがゆったりしている自分にびっくりしている。そうなんです、佛光山寺の本山に行くことは、自分の中では何か一種の故郷に戻るような懐かしい気持ちで一杯になるのは私だけでしょうか?
今回のアジア聯誼會は5月26日~29日の4日間でしたが、入山後に頂いた日程表を見ますと、行事等が朝5時から夜9時までびっしり予定されていることにまたまたびっくりしました。
今回の聯誼會にて最も印象に残ったのは、二日目の早朝よりの「朝山」と夜の「獻燈祈福」でした。早朝5時30分、不二門前には数百人信者が集合していました。
「朝山?」一体何が始まるのか、説明では、礼拝して三歩進み、また礼拝をして三歩進む、これを不二門より大雄宝殿まで延々と続けて行う佛門行事とのこと。先頭の住職の礼拝に従い全員が礼拝、立って三歩進み地面に膝・両手・額をつけて礼拝、えっ!これを2時間近く繰り返す!出来るのかな?と思っている内に「朝山」が始まり、自分一人では到底出来ないことが、何百人が同時に始まることにより、自然と体が動き始めている。最初は周りを見ながら、鐘の音を聞きながら少しずつ進んでいく内に、体の中から熱が発散し、額に、腕にうっすらと汗も噴き出てきました。
 途中の階段で、ふと後ろを振り返ると、何百人もの方が拝礼している、前を見上げると、大雄宝殿の門が見えてきて、体の疲れより、ただひたすら大雄宝殿に向かって鐘の音とともに静かに進むことに一心になり、この時こそ、何にも考えない「無我の境地」をひととき感じた瞬間でした。
 振り返ると、つらかったことよりも、あの2時間程の「朝山」は、不思議な体験であり、何も考えずにひたすら参拝を繰り返す、普段の忙しい生活とはかけ離れた体験であり、今考えても言葉にはならない。ただ、再度この「朝山」やってみたい衝動に駆られている自分に驚いています。
 早朝の「朝山」にたいして、夜の「獻燈祈福」は一種幻想的な行事であり、炎の不可思議な魅力を感じました。

 今回のアジア聯誼會では、芸術DIY、運動会等、会員信者の交流を図る催しも企画され、今までにない聯誼會への参加となりました。
また、このような聯誼會の準備や運営を行って頂いた佛光山寺関係者に感謝するとともに、いつかは日本の群馬において、世界の信者の方々を招いた聯誼會を開催したいと思いました。その中で、日本大和協會も大いに会員を増やし、世界の信者の方々に日本の素晴らしさを広めたいと、帰りの飛行機の中で、うつらうつらしながら思いました。
<佛光世紀 特集号>

星雲大師傳 『傳燈』より

私の人生も七十年を超えました。私はずっと一人の「道をひろめることを日常とし、よく生きることを求める」平凡な和尚として生きてきました。まわりがいかに変化しようとも、自分がいつも多くの恩恵を受け、人々とのよき縁を結べることを幸いに思ってきました。こうやって小さい頃から出家者としての聖なる使命を達成しようとしてきました。近年、たくさんの方が私に関心をもってくださり、私の生涯に関する記事や本が形になってきています。その中には私を高く評価してくださっているものもあれば、批判、非難されているものもあります。どちらにも私は心を乱されることはありませんでした。心ない誹謗中傷であろうと、讃美であろうと、それらはいずれも仏教を学び、修行する私への贈り物、私という存在を映す鏡として受け取っています。

 揚州から車で40分、江都という素朴で閑静な県がある。この江都県仙女廟近くに星雲大師の生家がある。

春早い三月、うぐいすが飛び、蝶が舞い、桃と李の花が艶を競って江南の新緑を引き立たせる。古くから文人を多く輩出した古都南京から車で三時間の道のりで、揚州の地に入った。
揚州は古くから有名で、大禹の商時代にすでに九州の一つであり、隋の煬帝の時に大運河が開通して以来、南北の経済文化の要所となった。揚州は長江の出口に位置して、風光明媚であることから、古くから文人がよく訪ねる所である。清の乾隆帝は六回も江南を遊覧したという。李白が孟浩然を広陵に送る時、

故人西を辞して黄鶴楼
  煙花の三月揚州に下る
  孤帆遠景碧空に尽きて
唯長江が天の際を流るるを見る

と詩に詠んだように、風景の美しさがうかがわれる。
<佛光世紀 特集号>

2007年5月23日水曜日

活動記録

2004年9月1日  国際佛光會世界総会(第十次会員代表大会)に参加、その折に星雲大師より国際佛光會 日本大和協會の設立が承認される
          
群馬布教所において国際佛光會日本大和協會誕生

2004年10月6日  日本総本山建設予定地に台湾から妙度法師、人間福報関係者等34名が訪問
2004年10月27日  国際佛光會韓国釜山協会1周年法会に招待される
     ~30日
   10月27日  日本の唱歌「さくら さくら」を披露、桜の苗木「1000本」の寄付を発表
   10月28日  弘法寺にて慈怡法師が記念記帳、佛教の歌「願將衆生度」を手話にて披露
   10月29日  親羅千年の歴史的な国宝遺跡の「石窟庵」「仏国寺」を参詣
   10月30日  国立慶州博物館、竜頭山公園見学
          
          水谷幸正先生が日本大和協会顧問に就任

2004年10月31日  日本総本山建設予定地に台湾から覺涵法師、妙蘊法師等50名が訪問
2004年12月19日  新潟県中越地震義援金を読売新聞社を通じ、寄付
2004年12月20日  日本総本山建設予定地に台湾から16名が訪問
2004年12月26日  報恩会で水谷先生が講話
2004年12月30日  2004国際佛光青年会議に参加
~2005年1月2日
2005年      インドネシアスマトラ沖地震義援金を寄付
          パキスタン義援金を寄付
2005年3月19日  群馬布教所に大阪佛光山寺からご住職永平法師と協会の方42名が来訪、水澤観音見学、日本総本山建設予定地訪問
2005年5月26日   佛光山寺第6代住職心定和尚講演会
2005年5月27日   心定和尚日本総本山建設予定地訪問
2005年5月14日   大阪佛光山寺「佛誕節潅佛会」、「2005年佛光文化祭」参加、愛知地球博見学
    ~16日  
    5月15日  佛光文化祭では群馬県下仁田特産のこんにゃくで「刺身」と「田楽」の模擬店を出店
2005年7月20日  2005国際佛光青年会議トロント大会参加
    ~23日
2005年7月31日  日本総本山建設予定地における自然観察会
2005年8月25日  星雲大師生誕法会参加
    ~28日         
2005年9月11日  伊勢崎法縁の會にて講演
2005年10月28日  本栖寺坐禅會参加
    ~29日       
2006年5月26日  国際佛光會亜細亜聯誼會参加
    ~29日         
2006年6月    台湾の刑務所に「人間福報」を寄付
2006年7月2日   水谷幸正先生講演会
2006年8月13日  供僧法会「星雲大師生誕80周年記念」参加
    ~15日         
2006年10月3日  會員代表大會参加
    ~6日         
2007年1月20日  群馬佛光山寺安全祈願祭
2007年3月3日  胡秀卿中医師「佛学と医学」人生講座
          「佛光如来之子」基金に10名の育英基金を寄付
2007年4月8日   お釈迦様生誕法會を開催
2007年6月5日   日本総本山建設予定地周辺清掃作業
2007年7月23日  第一分會主催活動

2007年5月21日月曜日

水谷先生講演要旨


2006年7月2日(日)、ビエント高崎エクセルホールにおいて水谷幸正先生の講演会が開催されました。演題は「正と死」です。
以下、その要旨をお知らせします。

私は今から60年程前に高崎に来たことがあります。その頃と比べるとずいぶん変わりましたが、高崎とは縁を感じます。しかし、それよりも慈怡法師に対する縁があります。私はそれまで社会や世界に対する事をある程度知っているつもりでいましたが、慈怡法師と話をしているとそれが井の中の蛙であることが分かりました。星雲大師が仏教を世界に広める活動をしている事を知り、感動したのです。
 さて、私達は話を耳で聞きますが、仏教の話は心で聞きます。本日の演題は「生と死」です。生きるとは何かということなのですが、「人間として生きる」ということに関しては職業を問わず、全ての人に共通しています。
 「死」については若い人は余りピンときません。お坊さんは50代、60代は鼻たれ小僧、70歳で一人前と言われます。これは死に対する問題を自分の問題として受け止めることができるからです。
 仏教とは何か、これは大変な質問です。6000のお経があり、2500年かかってお坊さんが論じているのです。そういう中で、お釈迦様の教えで大切なことは、ほっく教(?)が一番古い教えでその中の182番目に出てくるのですが、①人として生まれることかな、②限りなき(ある?)命、今あることが有難し、と言われています。このことから仏教の教えが始まるのです。
「人として生まれること」とは、砂を指で拾い上げたとき、指の上にある砂はその下にある砂のほんの一部でしかないのと同じことです。私達はお釈迦様の指に拾い上げられた砂の中にいる有難い存在であり、この事から生き様が出てくるのです。
 また「限りなき命、今あることが有難し」というのは、言い換えれば必ず死ぬ命だということです。私達は明日死ぬかも知れないのです。私のような年になりますと死にたくない気持ちが半分、死んでも仕方がないというあきらめの気持ちが半分あります。むしろ若いときのほうが国家のために死んでいくという気持ちがありましたから、死に対する気持ちは強かったです。
 世界では50近くの紛争があるそうですが、日本では60年平和な社会が続きました。それで日本人は平和ボケしています。ですから死ぬというのも頭で分かっているだけなのです。
 医者から余命を宣言された患者がその期間を過ぎても生きている場合、生きていることを有難いと実感します。
 盲亀の例え話がありますが、盲亀が100年に一度海面に顔を出したとき、そこに流れてきた木にぶつかることを考えてみて下さい。これは100年に一度でなくて1年に一度でもよいのですが、それは非常に難しいチャンスです。人間が生まれたのもこれと同じで、有難いのです。
 「生」という字には辞書などによると25通りの説明がありますが、それらは大きく4通りに分けられます。一つは生産、出産等で用いられる「生まれる」という意味です。また、生活等で用いられる「生き生きしている」という意味もあります。それから、生育等に用いられる「育つ」という意味、そして生ビールや生一本等に用いられる「新しい」という意味があります。これら4つの意味で生きていますが、それらを総合したところに意味があります。
 先生の「先」はリードする、先導するという意味ですので、生き方をリードするのが先生ということになります。また学生は「生を学ぶ」という事ですので、生きることを学ぶということです。
 それでは、生きるとは何かということについて、これを生きがいと呼びますが、それは人それぞれです。生きがいには①立身出世、②豊かな生活、③家庭円満、④趣味、そして⑤福祉や介護、ヘルパー等のボランティア活動などがあります。この中で5番目が一番良い生きがいだと思いますが、これらの生きがいの中から人生を選んでいくことになります。
 以前「でも、しか先生」と言われた時代がありました。これは民間企業にどんどん就職が決まっていく中で、「先生しかなれない」、「先生にでもなろうか」という社会状況を風刺したものですが、それに習えば現代は「でも、しか人生」ということになります。何かやりたいことがみつからず、「何でもよい」、「どうでもよい」、「ただ生きるしかしょうがない」という人がいるのです。同じ「でも、しか人生」であれば、「このままで良いのか、私のようなものにはこれしかないが、それでも良いのか」という自分に対する厳しい反省や、「私にしかできない」という意気込みを持った「でも、しか人生」の方が良いでしょう。
 よくエリートコースと言われますが、人生は60歳、70歳を過ぎてからが本当のエリートコースです。それに向かって歩んでいくのが大切であり、エリートコースに入っていくことが人生の醍醐味です。
 ところで、本日の演題「生と死」の「死」についてですが、残り時間が少なくなってしまいました。「死」について「必ず死んでいく」ということは頭ではなく腹で覚えてもらいたいと思います。死の特徴は①誰でも必ず死ぬ、②死ぬ時期は不明、③自死(?)は許されない、④一度きり、ということです。それでは何を持って死となすかですが、死とは何かという宗教的、哲学的な死というものもありますし、社会的な死、医学的な死、主体的な死(自分で死ぬ)というものもあります。仏教では脳死を認めておりません。
 「今までは人のこことと思い知り、俺のこととはこりゃたまらん」という句がありますが、「仏教は死を先取りして今を生き、また死を先取りして生を考える」ものと言えるでしょう。
 ご清聴ありがとうございました。

5月報恩會

5月27日 13:30~
5月誕生日の会員はもとより、多くの会員各位の参加をお待ちしています。

大使生誕法會


2006年8月14日~15日に星雲大使の生誕法會が盛大に行われました。
国際佛光會日本大和協會からも大勢の方々が参加しました。

佛光山寺東京別院落慶法要・三帰依式

日時:6月10日(日) 落慶法要 10:00~
              三帰依式 14:00~
場所:佛光山寺東京別院

参加希望者は5月27日までに大和協會まで連絡下さい。