2007年8月31日金曜日

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「お経の音律でニヤリ」

一年半前の桜が満開の四月に星雲大師と慈怡法師に初めてお会いしたのもこの本栖寺でした。日本大和協會が発足して一年余、会員お揃いの大和協会法被姿、朝のお経も黒の法衣姿での行列参加、大和協會も少しずつ佛光山寺の会員として育っていると感じました。禅堂の雰囲気に荘厳さを感じ、なにがしらかの緊張感を感じるのは不思議と心地よいものでした。一段高い位置で、目線、呼吸、姿勢を気にしていると、指導法師より吸う息と吐く息は---?息は----?独り言の言葉は法師の禅問答かと勝手に思っていたら、後で意識を集中する一つの方法とのこと。普段の生活の中では意識が散漫しており、座禅にてその意識を集中する修練を普段の生活に少し取り入れることにより、普段気がつかない事を感じる事ができるようになります!との一言に、忘れていたものを思い出した気がしました。
写経も普段できない事のひとつです。最初はただただ早く写す事に集中していましたが、ふと字を見ていると、毎週下仁田での共修会に読経するお経の教本に出てくる字が多いことに気づき、ふとお経の音律が頭の中に浮かび、思わず内心「にやり」としました。毎週の共修会参加の結果であり、続けることの大きさを感じました。座禅も写経も普段の生活には縁遠いものでしたが、佛光山寺との「縁」により普段の生活にも徐々に浸透している自分に驚いています。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「頭がすっきり」

本栖寺へ行くのは今回で2回目です。前回は昨年の星雲大師様が来日された時ですので一年半ぶりです。富士山近くの国立公園内の本栖寺は空気の密度の濃い特別な空間の様な気がした。
坐禅會に入り呼吸を整える。1,2,3、・・雑念が入る・・仕事の問題・・何故坐禅をしているのか?坐禅とは何だろうか・・色即是空と素粒子物理は・・宗教と哲学は・・窓の外の風が紅くなった葉を揺らす。睡魔が襲う・・・。
坐禅止めの合図で我に返る。ほっとしたのと何故か頭がすっきりした気持ちになりました。和気合い合いとした座談会。美味しい食事。身も心もリフレッシュしてまた明日から頑張るぞという気持ちになりました。


「座禅は忍耐」

本栖寺に到着すると、法師が暖かく出迎えて頂き早速館内を隅々丁寧に案内して頂いた。夕刻15時30分から坐禅を行ったが、富士山麓の森林の澄んだ冷たい冷気が頬を伝い、フィトンチットが充満しているのを感じる。
普段協會で行っている座禅會とは一味も二味も違う雰囲気である。坐禅は承知の如く両足を組み瞑想に耽る。当初、これが出来なかった。私にとって坐禅とは悟りの境地どころか「忍耐」そのものであったのだ。片足の甲を何とか乗せると、体勢が斜めになり、倒れるのを維持するのに背筋が曲がる、暫くして震えがくる。三重苦である。最近ようやく身体も少し慣れ、何とか坐禅モドキ?を組めるようになった。(その日以来、毎朝5時に簡単な柔軟体操、坐禅を心がけている。)
先ず呼吸法から始まり、吸うのが先か吐くのが先か、空気は冷たいか、それとも暖かいか?何気なく繰り返している呼吸にこれほど注意を払ったことが無かった。次第に雑念が消え、身体の力がすうっと抜けていく。調身、調息、調心が初めて整ったかなぁと何となく思えた。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「無常とは?」
座禅中は頭を空にしてと、思うのですがなかなか長時間は難しくほんのひと時そんな時を感じられるだけでした。座禅をすることで頭を空にしてなにも考えないでリラックスさせることが次への活力になるのではないかと思い始めて座禅への意識が高まったように思います。これも佛光山とご縁がいただけたからです。帰る時に、今日はあいにくの雨になってしまいました。と話したところ、「これは無常というものです。いつも同じではありません。ここにある自動車もいつまでも新しくはないし錆びたり壊れたりします。でも、無常とは、悪いことではありません」と、お話になりました。無常とは悲しいものと思っておりました。しかし、無常とは、悪い事ではありませんとのお話で、あっそうか、悪いこと、悲しいことも無常なのだと気づかされ、無常だからこそ前向きになれ希望も持てるのだと。良いときは浮かれていないで、また悪いときもくよくよしないで、世の中無常なのだからと思い生活しなくてはいけないのだなと思いました。


「雑念のありよう!」

今回は短い二日間の座禅会でしたが、私にとっては随分とためになりました。妙崇法師の指導のもと、静謐な禅堂で座禅を行いましたが、法師様が鼻先に意識を集中する事とか、息の暖かさ、出し入れなどのお言葉を聞いているうちに、身体の位置も定まり、自然と座す事ができました。慈怡法師に以前に教えて頂いた数息観を試みてある程度雑念を払い、安寧な気分の状態を維持することができました。最初の座禅が終わってくつろいでいるとき、法師様が息を見ることとおっしゃってくだされたのが強く印象に残りました。喫茶座談会で慈怡法師から、せっかくの良い機会なので、身と心を一つにして会に臨むようにと指導され、なるほど雑念のありようとはそうしたものかと改めて思い知りました。また、座禅をすることで雑念があることを認識する事は良いことだともいわれ、物事の真の姿を捉えるために雑念を振り払い、安らかな状態になるための行いなのだと認識しました。二度の写経、早朝からの湖面に映る紅葉の中での自転車散策、いつもよりがんばっている自分を見ました。これも本栖寺の法師様をはじめ皆様の暖かいおもてなしのおかげと感謝しております。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「坐禅は心の洗濯」

この度、縁あって一泊坐禅の機会を得、本栖寺禅堂に入堂し妙崇法師の指導のもと坐禅を始める。
坐禅は『調身・調息・調心』が重要で、姿勢を調え、呼吸を調えてはじめて坐禅に向かう心が調うといわれている。
特に臨済宗の坐禅では呼吸法が大切で、慈怡法師がよく言われる『数息観』の事である。『ひとーつ、ふたーつ』と心で数えながら細く長い息で腹式呼吸をし、十まで数えたら、また一から繰り返す。一呼吸するだけで身体から汗が吹き出て来る様な坐禅が組めればしめたものだが、しばらくすると次第に足も痛くなり、数を数えることもままならない。
『以心伝心』といわれるが、どうすればそんな大きな心を伝えることができるのか。花を見て美しいと思い、月を観て心が清々しくなる。それが心であり、自分の内実であり、すべての人の人生であると思います。終了のリンが鳴り、ふと窓の外に目をやると、木立が風に揺られ、生命の息吹を感じた時、『坐禅は心の洗濯である』という心境になっていました。


「パワーを頂いた!」

本栖寺で最初の座禅は脚が痛く早く終わりの時間にならないか、そればかり気になり、集中できませんでした。座禅を指導してくださった法師様に普通は50分すると聞いて、明日は他の人に迷惑をかけないよう出来るだろうか心配になりました。
夕食後に写経をしようと誘われ、昼間案内された所で写経していると他の人も何人かいるのに実に静かで写経に集中できました。実際には意味が解らず、ただひたすら漢字をなぞるだけでした。朝のお勤め、庭掃除、前日心配した座禅も長く感じないで、朝からすっきりした気持ちでした、豊かな自然,きれいな空気、本栖寺で無心になろうと心掛けたせいかわかりませんが頭もスッキリ、体もパワ-を頂いたような気がしました。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「禁煙に成功!」

私にとって、生まれて初めての座禅でしたので、参加前は緊張と不安でいっぱいでしたが、初日は20 分、2 日目40 分、どうにか足の痺れにも耐え、座禅をまっとうすることができました。
私自身、この機会を精神修行と自らを勤しめ、禁煙にもチャレンジし、本栖湖畔の美しい景色と法師の方々の温かいご指導、美味しい食事を満喫しているうちに、禁煙の苦しさもやわらぎ、断煙にも成功しました。こういった素晴らしい機会を与えて頂いた佛光山の皆様に心よりお礼申し上げます。


「座禅は短い?」

私は座禅については、すでに下仁田の道場で何度か経験させて頂いております。開始前、法師より心得など説明があり、鼻先に意識を集中し、呼吸の冷たい暖かいを感じてください。今までそのような感覚を持ったことがありませんでしたので、少し驚きました。この感覚で座禅をしていましたら30 分が、なんと短く感じられました。この時間的感覚が薄れることが「無」の境地なのかなどと考えてみました。今までとは違う感覚でした。座談会では、各人の方の自己紹介があり、仏教に対する思いや考えなど話されていました。
印象に残ったのは、慈怡法師様が一人一人の話されていることをメモしておられ、最後にまとめの話をされた時、一人の名前と話した内容を的確に言われたのを覚えております。記憶力もさることながら、一人の方に対する思いとか、優しさ、気配りは本当にすばらしいとあらためて感じ、法師様の心の原点を見た気が致しました。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「何故ここに?」

道すがら「ここから見た富士山が千円札の裏側の富士山だ」紅葉が美しい。1回目の座禅は、ただただ睡魔に襲われ、我に返ると足が痛く時間を気にすることだけでしたが、2回目にはやや我を取り戻し、「止静」の世界を少し覗いたような気がした。そこで、思った。私は、今、何故、ここに居るのであろうか?最近のこと、身近に叔父の終焉をみて、父母との別れとは別の感情をもって、冷静に人の一生を見て思った。わが人生はこれで良いのであろうか?別の心をもって自分を見る必要があるのではないか!私は、そのような機会を佛光山の教えや座禅に求め、そして、自分を見つめ直す一つの節目と考えたい。このために、私は、今、ここに居ます。


「無の世界に入る」

2005年10月28日心配していた天候も良く、交通渋滞もなく予定通り現地に到着することが出来ました。
星雲大師の銅像のお迎えを受けて華厳宝殿の中の素晴らしさに圧倒されつつ外へ出てみると、実に廻りの景観に溶け込んだ建物の中に雄大なお釈迦様が居らっしゃるとは思いませんでした。
座禅会では外部からの物音一つせず、時間を忘れて無の世界に入る事が出来ました。食事の方も日本人向けにお気遣い頂いたように思いました。とても美味しく頂きました。そして、小鳥のさえずりを聞きながら自転車で本栖湖の廻りを散策し、空気はこんなにおいしいものかと実感致しました。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「功徳の大切さ」

私は生まれながらに厳しい家庭環境にありましたので、その時々の環境に併せて、ただひたすら全身全霊で商売に励んで今日に至っており、縁がありまして臨済宗佛光會を知りました。
達磨大師の48 代目星雲大師の法話を直接拝聴してから、その深い慈愛と真心のこもった説法に感動し、一在家信者として最善を尽くそうと決意いたしました。
宝輪堂において慈怡法師様の喫茶座談会があり、その、きつりつとした法話の中で、功徳の大切さを教えて頂きました。
①放下について:その時点において全身全霊で心身一体となって、そのことだけに集中すること。私には、一番身にしみるお言葉です。心したいと思います。
②提起について:放下の後、その想いを残して忘れず次の用の時に使えるようにすること。私のような商人には、大切な心構えとなります。口下手で表現ができない。しかし、心で感じている現象がある。それも、功徳との言葉に、私も心から納得し、即、実行しようと思いました。

「自分を誉めた」

久しぶりの本栖寺訪問であった。初訪問は座禅会、2度目は研修会、3度目の今回は座禅会で、座禅は2回目ですので、入山前の心構えとして、「自主的に座禅(心境)を実行し理解しよう!」の考えで臨んだ。夕食後、喫茶座談会が実施され、会長を始め、会員の皆様方から短いスピーチであったが、貴重なお話を聞けたことは今後の参考となった。又、慈怡法師の説法は日常生活上に起きている事例をあげて、精神面の判断又工夫で心の充実さが生まれる法話でした。朝のお勤めは、今までの共修会の成果があり自然と溶け込めた。朝食後、写真を撮りに庭に出たところ、法師様と何人かの会員が落葉収集掃除をしていたので、自主的判断で参加!結果的に、自分を誉めた一瞬であった!私達の作業を見て、多くの会員が箒を持って参加して下さったことも嬉しかった。
<佛光世紀7号>

2007年8月30日木曜日

「日本大和協会・伊勢崎法縁の會」報告


2005年9月11日、伊勢崎市民プラザ第二研修室において、慈怡法師、妙耀法師、会長夫妻をお迎えして「伊勢崎法縁の會」を開催いたしました。当日は、百余名の会員が参集し、盛大な中無事閉会となりました。まず、発表に先立ち、会長より日本大和協會の創立の経過報告、佛光山寺並びに国際佛光會の沿革を詳細にご説明頂きました。次に、慈怡法師が「般若の人生」を中心とする法話を、大変解り易くご講演頂きました。皆熱心に聞き入り、数名の方がメモを取っていたのがとても印象的でした。佛光山寺の教えは、まず自らの生活において十善戒を守り、六波羅蜜の徳を実践して行くという素晴らしい佛教であります。私達は、この法縁によって出会えたことに感謝し、深く心を問うべきではないでしょうか。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「初めての台湾」

「台湾に行ってもらいます」突然の知らせにとまどいながらも、一口返事で承知した。「台湾とはどのような所?」「宗教とは、仏教とはどのようなものか」「バシー海峡に近づくことができるのか」以上の三つの理由と期待を持って行きました。
 1.台湾とはどのような所であろうか:一般情勢や民情、生活や交通事情、街の様子などを事細かく記載されていました。
 2.宗教とは、仏教とはどのようなものであろうか:佛光山寺到着して驚いた。日本のお寺とは全く雰囲気が違うのです。寺のスケールや多くの人が集まり、教育機関の学校を併設していることです。また、子供たちの態度も身なりもきちんとしており、仏教を通してきちんと教育されていることがわかりました。本山での行事を、星雲大師自らが仕切っていたのには驚きました。他人に任せず、自ら行う姿勢に、これなら信者も、きっとついてきてくれるはずだと思いました。
さて、何故にこんなにも多くの人があつまるのであろうか。宗教とは、佛教とは、どのようなものであろうか。凡人の私には、到底、判るはずが有りません。ただ、一人静かに祈るといった、そんな心の拠り所なのかもしれないと思ったものでした。
 3.バシー海峡に近づくことができるのか:先の戦争において私の長兄がバシー海峡において戦死しました。戦争はいけません。勝っても、負けても、悲しみだけが残るだけです。
台湾は初めてでしたが、台湾の豊かな自然や国民を支えているのは仏教による「こころ」と感じました。大きな施設、整備された組織、立派な指導者により、一貫した教育が行われているのです。日本大和協会に入会して、今後も皆様と一緒に精進に努めます。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「佛光山寺に脈々と流れ伝えられる宗教観」

今回は、本山を後にして台南、台中、台北へのバスの旅がとても印象的でした。本山の華やかさとは異なり、佛光山寺のありのままを拝見することができました。寺院に従事する僧侶や尼僧さん、信者の方々の暖かい出迎えなど、国や言葉を超えた佛教という一つの信仰のもとに「お経」を唱えることにより、何かしらの一体感を感じたのは私だけでしょうか?
言葉少なく、オミトウホウ(阿弥陀佛)と微笑むだけで通じる世界、この考えが、大師が唱えられる「世界平和」の一つの実践なんだと。今回の旅は、地方のお寺を訪問させていただくことにより、佛光山寺に脈々と流れ、伝えられている宗教観を感じることができました。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「心の豊かさの大切さ」

台湾へは3度めの旅となりましたが、3回目ということもあり、なんだかとても懐かしいような気分ににりました。
今回も二日目の朝、本山地下にそれは壮大な極楽浄土までの道筋を描いた場所の見学をさせていただきました。それにしても、スケールの大きさにはびっくりしました。たくさんの電飾やわかりやすいレリーフ等で、老若男女が誰にでもわかりやすく表現されていました。3回行ってもまだ、本山を全て廻りきらないのですから、その広さには恐れ入りました。日本ももっと、心の教育に力を入れるべきだとつくづく感じました。心の温かさや優しさがあってこそ、本当の技術や知識も生かせるのではと思います。私もついつい、EQの高さより、IQの高さのほうに目が向きがちですが、両方のバランスがとれてこそ人間のバランスもとれるのでしょうね。佛光山南華学館では、のびのびとした明るい感じで、心の豊かさを感じさせるものばかりでした。
今回は心の豊かさの大切さを改めて認識させられる充実した旅でした。お世話になったかたがたに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「極楽浄土は各自の心の内にある」

佛光山本山を訪問される世界各国からの参加者の多さに驚きました。その大勢の人々の宿泊や食事、移動等も混乱もなく行われ、法師の方々の綿密な計画と迅速な行動や心のこもった接待を目の当たりにして、まとまった一つの心で接待していると感じさせられました。
法師様からの、「極楽浄土は各自の心の内に有る」という言葉は、深く印象に残り感激しました。再度佛光山寺を訪問し、今回接待を受けた感謝の意と御礼が少しでもできたらと思っています。
佛光山寺の四つの宗旨
 一、 文化による佛法の昂揚
 二、 教育による人材の育成
 三、 慈善にによる社会奉仕
 四、 修行による心の浄化
を自宅に戻り思いだし、今回の旅は感慨深い旅でした。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「均頭小中学校の生徒は羨ましい」

均頭小中学校を訪問した時、初めて訪れた気がしませんでした。私自身中学から筑波大学の試験的学校に一期生として入学し、親元を離れて寮生活を送った経験があるからです。
少年は教育の仕方によって無限に成長するし、少年時代の経験は一生を左右するといっても過言ではい。真に正しい教育、文化、道徳を教え、様々な貴重な体験(愛別離苦)をさせ、人に施す人間になるよう教えることが大切である。
世の中はすべて「空」であるという佛教の基本を教え、目標を高く持ち、達成に向かって弛まぬ努力を続ける。佛光山寺の佛教教育はまさしく本物教育であり、台湾に留まらず、世界中に佛教小中学校を広めて頂きたいと思う。そのような環境で勉強をしている均頭小中学校の生徒は羨ましい限りである。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「台湾お寺廻り初参加」

台湾の旅でお寺廻りの本格的参加は初めてでしたが、とても楽しく、有意義な旅でありました。
日程行動順に感想を述べます。(以下、日程と訪問先、訪問先での感想を端的にまとめられており)、最後に、四日間の台湾での訪問先感想を記しましたが、このような文化に触れる機会がありましたら、今後も是非参加したいと思います。
<佛光世紀6号>

星雲大師生誕法會参加の旅


星雲大師生誕法會に日本大和協會より慈怡指導法師、妙耀法師と会長の先導により、総勢18 名が2005年8 月25日~8 月28 日の3 泊4 日の日程にて、高雄にある佛光山寺本山に行ってきました。今回の旅では、慈怡法師、会長のお計らいにより、大師生誕法會の後は、台南、台中、台北の佛光山寺のお寺や施設を見学することができました。初参加の方や2 回目、3 回目の方もおられ、本山以外のお寺や施設を見学するのはほとんどの方が初めてであり、大変貴重な体験をすることができました。
<佛光世紀6号>

2005年国際佛光會青年会議トロント大會報告



「青年會議」が2005年7月20日~23日の日程でカナダのトロント市で開催された。
大和協会からの参加は2名で、私は他の同行者より一日早く出発したが、20分遅れの成田出発、早々にいやな予感!?ニューヨークに着いた時点でトロント行きの出発時間!おまけにテロの関係で、一度アメリカに強制入国。何とか次発の便への変更も束の間、なかなか飛ばない?と、突然キャンセルの案内、結局その日はニューヨークで一泊、トロントに着くまでこの他にも旅行トランクのトラブル等いろいろあり、最後の最後にトロントのホテルで休めたが、結局翌日出発の他の同行者より7時間早く着いただけだった。
会議では、カナダ、ブラジル、ニューヨーク、シンガポール、韓国等各国青年会長始め前回の本山大会で知り合った仲間との再会に喜びもひとしおだった。「総勢350人の参加」で、オープニングセレモニーやパーティが盛大に開催され、その他各国各青年会の劇の発表会やバスケットボール大会、精進バーベキュー(大豆製パテのチーズバーガーが最高)等久しぶりに10代(気分だけ)を味わった。記念撮影では大阪協會の方々と4人で浴衣姿で挑み、各国からも個別写真をせがまれ、一時スター気分を味わった。毎日、朝は6時から夜の9時迄公式スケジュールが一杯でその後、プライベート交流が深夜2時迄続き、おかげで日本に戻ってからも二人は時差ぼけとは無縁であった。佛光山では、青年に広く門戸を開き、決して怒らず、皆と活動を共に楽しみ、時には法師さんと一緒にゲームや、身上相談等をしたりして、自ら感じ取って貰うのが一番良いとの方針をとっている。
法師さんが敷居を低くして我々と同じ視線で迎えてくださることは、なんて素晴らしいことか。
人は他人に指図を受けるより、自ら気づいた方が同じ過ちを二度と犯さないと思う。私たちは、日本のオウム真理教事件以来、宗教全般が敬遠されているが、真の宗教を教え広めて行くことが重要だと発表した。総括では慈容法師が次の様に纏められて會議を締めくくった。

1.2006年は青年會10周年で記念誌作成。 (記念大会は8月台湾で世界大会と同時開催。)
2.青年會は国連にNGO として認可済。英語圏支部が国連会議に参加。
3.青年會ウェブサイトの刷新。中国語、英語の2ヶ国語体制に。
4.仏教2000年の歴史を引き継ぎ、人に功徳を施し、慈悲の心で平和な世界を築く事が我々の人生の意味である。
<佛光世紀5号>

伊香保本山予定地の自然観察会報告


2005年7 月31 日、伊香保の本山予定地に約20 名の会員が参加し、自然観察会が開催されました。
当日は天候にも恵まれ、すがすがしい空気の中で約1 時間半予定地を散策し、植物を中心とした自然観察を行いましたので、今回はその自然観察内容をお知らせいたします。
観察された植物は木、草、シダ植物などを合わせて約120 種類余りでした。主なものとして、クリ、オニグルミ、コナラ、アカマツ、フジ、サンショウ、マタタビ、ノブドウ、ノイバラ、ヤマブキ、ヤマノイモ、フキ、ウド、ススキ、ヨモギ、ワラビ等や、ビールの原料となるホップ(カラハナソウ)、戦時中下仁田町で衣服の原料として採集していたアカソ、ニュージーランドで中国産のものがキウイフルーツに改良されたサルナシ、かつて和紙を作る際の糊として用いられたノリウツギ等の生育も見られました(和紙の原料となるコウゾは今回確認されませんでした)。
また、ミズキ、クマシデ、アブラチャン等の木が花や実をつけていて、タマアジサイも丸い玉を葉の上に出し、開花の準備をしていました。キイチゴ類もあり、ナワシロイチゴの赤く熟した実を採って食べることもできました。「秋」になると紫色の可憐な実をつけるムラサキシキブや赤い実のなるガマズミ、紅葉が美しいイタヤカエデやヌルデ、そして実を採って食べることのできるオニグルミやマタタビ、サルナシ、ノブドウ等が私達を楽しませてくれるでし
ょう。「春」にはエイザンスミレ、タチツボスミレ等のスミレ類が林床に紫色の花をつけ、ヤマブキやヤマザクラ、コナラ、ヤマハンノキ等の花も咲き誇ります。フキやワラビ、ウド等の
山菜を採ることもできます。
このように本山予定地は、私達に四季折々の自然の産物を楽しませてくれる場所です。
「薬草」としては、ブームとなったアマチャヅルの他、アオツヅラフジ(リウマチ、鎮痛)、イタドリ(便秘、蕁麻疹)、イノコズチ(利尿、強壮)、オトギリソウ(切り傷)、オニグルミ(強壮)、キンミズヒキ(下痢)、ゲンノショウコ(下痢)、スイカズラ(熱、口内炎)、ニワトコ(発汗、利尿)、ヌルデ(下痢、咳)、フジ(緩下剤、胃がん)、ヘクソカズラ(しもやけ、あかぎれ)、マタタビ(冷え性、むくみ)、ヤマノイモ(滋養強壮)、ヨモギ(肩こり、止血)等がありました。本山予定地には恐らく「400 種類位の植物が生育している」と思われますので、今後観察会を続けていくにつれ、更に色々な薬草や食べられる山野草がでてくることが期待されます。何れにしましても、自然の記録を定期的にとると共に会員相互の親睦を深めて、「山野草の食事会」等の企画へと広がることは素晴らしいことだと思います。会員の中には「きのこ」に詳しい方もおられるようですので、今後も様々な催しを継続して行っていくことができればと思っています。
<佛光世紀5号>

國際佛光會日本大和協會( BLIA YAMATO CHAPTER JAPAN )

「佛光普く三千界を照らし、法水常に五大洲を流れる」は國際佛光會世界総会創会会長である星雲大師の佛教に対する理想と念願である。1990年、台湾で「中華佛光協会」設立を企画し、1991年に台北市国父紀念館で発足しました。翌年5月、国際佛光会世界総会及び第一回会員代表大会をアメリカ・カリフォルニア州の西來寺で行われました。南北伝・顕密教の僧俗、三十余ヵ国、五十余地区の代表がこの画期的な大会に参加しました。大会で星雲大師は世界総会長に就任しました。また、大会は國際佛光會世界総会の組織規則・宗旨・活動計画なども取り決められました。

星雲大師は釈尊の言葉「宇宙を中心として」を佛光会の基礎理論としています。この佛光会では、地域・国籍・種族などのあらゆる区別をなくし、世界中に佛法が栄えるように、会員たちはこの会での佛教活動から心を清め、「佛光浄土」の建設を求めています。

國際佛光會世界総会が成立して以来、その組織は拡大の一途にあります。現在世界各国・地域ですでに数百の協会を有しております。日本にも東京佛光協会・大阪佛光協会に継いで、日本大和協会は2004年9月、台湾佛光山にて総会長星雲大師が自らの主催で成立されました。当協会の所在地は群馬県でありますが、会員は群馬県に限らず、東京・埼玉・大阪・京都・兵庫等各地からも加入されています。当協会の主な会員は日本人であり、会長を筆頭に、幹部15 名は全員日本人であることが、その特色です。

当協会は國際佛光會の宗旨に従って、主に日本の友人・有志者に佛光山星雲大師人間佛教の理念を伝え、「人々に人格の向上、心が豊かになる」ことを会員一同図っております。また佛教の存在の重要性について、益々その存在をこの協會の会員から高めています。2005年10 月には「日本大和協會の1 周年」になります。当協会も会員が100 名を超え、ゆっくりではありますが、徐々に大きくなっています。日本大和協會1 周年を迎え、様々な企画にて会の発展を目指しています。國際佛光會は皆様のご参加を心より歓迎し、共に平和で楽しい未来を作ることを念願しております。
<佛光世紀5号>

2007年8月29日水曜日

大阪協会文化祭参加報告


大和協会として大阪佛光山の「佛誕節潅佛会」と「2005 年佛光文化祭」の催しに参加しました。2005年5月14日早朝、新緑のまばゆい好天に恵まれ、中央道と東名道から二手に分乗して出発し、夕方6時頃に無事大阪佛光山寺のある宝塚市に到着しました。到着早々、永平指導法師と大阪協会の皆様の暖かいお迎えをいただき、一同大変感激いたしました。2005年5月15日は予定通り、「佛誕節潅佛会」と「佛光文化祭」が行われました。「佛誕節潅佛会」は荘厳な大雄寶殿で多数の来賓や会員の出席のもと盛大に催され、来賓として慈怡法師、会長も挨拶されました。慈怡法師の挨拶では、伊香保の総本山計画の実現に向けての強い意志を示されました。会長からは今回の参加は大和協会としても大変に参考になり、今後も両協会の交流を図っていきたいとのお話がありました。
午後からはいよいよ文化祭!庭園では各協会や分会が趣向を凝らした模擬店を開きました。青年部会、神戸分会、東京協会、台湾同郷会、勝鬘書院、中央分会、台商会、西区分会と大和協会の9グループの参加でした。大和協会は大阪協会会長の計らいで、庭園中央の一番良い場所に開かせて頂きました。会長夫人、妙耀法師が中心となって群馬県下仁田特産のこんにゃくを刺身と田楽で楽しんで頂く趣向です。「佛誕節潅佛会」開催前に、一同大和協会揃いの「法被(はっぴ)」に身を包み、会長夫人の指示のもと、手際よく模擬店の用意を終えました。潅佛会がお開きになると、参加者が庭園に溢れ、あちこちで楽しい歓談や笑い声が響き沢山の輪が出来ました。大和協会のこんにゃくも、清涼な食感が人気で、早々と売り切れがでる状況で完売しました。会長も売り手の先頭に立たれ、日頃見られない光景で、楽しいひと時となりました。その後、大雄寶殿で参加者の抽選会が行われ、当選番号が出るたびに歓声が沸き、理事が当協会でただ一人星雲大師の書籍を引当て、大きな拍手を頂きました。その後、永平法師から参加団体への感謝状等、和やかで楽しい雰囲気の中、閉会となりました。
別れ際には慈怡法師を慕い、涙を流して歌う大阪協会の皆様を後に何時までも名残はつきませんでした。大阪協会の皆さん、2日間、本当にありがとうございました。

2005年5月16日は名古屋の地球博の見学となりました。この日も快晴に恵まれ、万博会場は大勢の人で賑わいました。短時間でしたがいくつかのパビリオンを皆で楽しく拝見しました。今回の訪問で、大阪協会会員皆様の活動の広がりが「人間佛教」のもと、確実に発展しているの
を目のあたりにしました。我々大和協会も大いに参考にさせていただき、少しずつでも着実に輪を広げ、日本大和会を発展させていきたいと感じさせられました。
<佛光世紀4号>

心定和尚群馬県伊香保来訪


2005年5月27日に心定和尚が、日本総本山建立予定地の伊香保の地を訪れました。
昨日の下仁田での講演を終えて10時過ぎに高崎のホテルに泊まり、朝9時には伊香保の予定地に着きました。毎日の講演や旅の移動の疲れも見せずに、総本山計画図を眺めて、様々なアイデアや助言を慈怡法師や会長に歓談しておられました。それから計画地の中を散策したいとのご要望があり、ウグイス等の野鳥がさえずる森林の中に先頭をきってお進みになり、自生している野草や木々を眺めて、自然の雰囲気を満喫しておられました。途中、この地にはワラビやフキ等の山菜と、栗の木があることに注目し、この御山に生息する動植物の記録を開発前に撮っておき、総本山開山後の貴重な資料となる等の、日本総本山建立への熱い思いと、暖かい指導を慈怡法師や会長にお話されておりました。
この日は天気も良く、気温も暖かく、心定和尚が先頭に立ってどんどん御山の中に入り、総本山予定の地形や眺めについてじっくり観察し、1時間程の散策を終えて、次の講演予定の埼玉県川口市に向かいました。
心定法師と一緒に御山での散策は、とても貴重な助言を頂くとともに、心定和尚の暖かい気配りと、総本山計画への強い意思を、同行という貴重な体験により得ることができ、とてもすばらしい感動のひとときでした。
心定法師は、来年の桜の季節にもう一度来たいとのお話があり、来年の春に心定和尚を囲んでの桜の花見が、会員一同と体験できることを楽しみにして待ちましょう。
「来年の春には、心定和尚と伊香保の御山の散策と桜の花見を日本大和協会一同で参加しましょう」
<佛光世紀4号>

2007年9月行事予定

2007年 9 月 15日 供修禅(10:30~)
           写経会(13:00~)

        16日 慧寛法師講演会(憩いの森 14:00~)

       19日 梵唄(13:30~)

       23日・24日 日本各協会幹部講習会
      
       26日 第3分會主催活動

       30日 報恩會(13:00~)於伊香保

          

2007年8月行事予定

2007年8 月 8日 梵唄(13:30~)

      19日 理事懇談会(14:00~)

       22日 第2分會主催活動(18:00~)
          伊勢崎市文化会館中会議室
    
       25日 供修禅(10:30~)
          報恩會(13:00~)

2007年8月8日水曜日

心定和尚 群馬県下仁田布教所 来訪


2005年5月26日に佛光山寺第六代住職でありました心定和尚が、群馬県の下仁田布教所に来訪しました。日本に来たのは実に3年ぶりとのことですが、日本各地での講演スケジュールの忙しい中、日本総本山建立の地である群馬県の下仁田布教所(日本大和協會)に時間を割いてご来訪頂きました。
心定和尚は、東京での講演を終えて東京佛光山寺の覚用法師、如昱法師、如兆法師や東京協会会長夫妻、前東京協会会長らと来られました。
心定和尚をお迎えしての講演は、午後7時~8時30分と午後の遅い時間となりましたが、日本大和協会の会員40~50名の参加を頂き、盛大な歓迎をすることができました。歓迎に当たっては、慈怡法師、妙耀法師、日本大和協会会長夫妻、大和協会幹部の方々の協力により、すばらしい歓迎会場ができました。最初に日本大和協会を代表して、会長に歓迎の挨拶をして頂きました。
心定和尚の講演に先立ち、通訳として東京協会の督導様にご足労願い、大変分かり易い通訳をして頂き、本当にありがとうございました。心定和尚の講演は、最初は「人としての生き方や考え方」について一つの例にたとえて、分かり易く、簡潔に説明して頂き、佛教とは難しいものでなく、日常生活の中に「佛教の広さ、深さ、優しさ、平等」といった佛光山寺が進める「人間佛教」の暖かさを直に感じることができました。 また、心定和尚の要請でボード板を用意し、ボードに漢字を書きながらの講演は、「目」で見る漢字の意味と、通訳で聞く「耳」の意味の相乗効果により、講演内容はとても分かり易いものとなりました。その中では、「因」と「果」の「縁起の教え」について具体的にボードに漢字を書きながら私どもに説いてくれました。後半は、日本でも馴染みの多い「般若心経」の第一節「観自在菩薩」と第二節「行深般若波羅密多時」について、一字一字の意味する内容を分かり易く説明頂き、予定時間を延長しての熱意に、会員一同本当に感激致しました。
般若心経は、「大般若経」を260文字に集約した」すばらしい教典であり、「今度群馬に来たときにこの続きの説明をしましょう」との約束にて講演を無事終えました。最後に、慈怡法師のご挨拶を頂き、心定和尚より会員一人一人に記念品を手渡しで頂き、感激も一層大きいものになりました。
<佛光世紀4号>

2007年8月7日火曜日

大阪協会の伊香保訪問記


大阪佛光山寺の永平指導法師と共に大阪協会の方42 名が、2005年3月19日早朝に下仁田布教所に来訪しました。大阪協会の方は、2005年3月18日の夜10 時に大阪を出発し、夜行バスにて下仁田に朝7時45分に到着しました。日本大和協会の方も布教所の前にて「歓迎の歌」で出迎えました。夜行バスにて大変お疲れにも関わらず、皆さんが私ども大和協会の出迎えに心暖かく感謝の気持ちでお応え頂き、佛光山寺の「人間佛教」の実践を深く感じることができました。
この日は快晴となり、風もなく、寒さも緩み、朝食は布教所の庭にて暖かい食事をとりました。今回の大阪協会の方々への食事は、会長夫人が徹夜にて用意したとのことで、私ども大和協会としても、会長夫人に感謝の気持ちに絶えません。朝食後は、大阪協会との交流会にて意見を交わし、今後の佛光山寺の発展と大阪協会並びに日本大和協会の発展をお互いに約束しました。その後、永平法師より記念品が日本大和協会の会長に手渡されました。
昼食後、伊香保の「卯三郎こけし」工場を見学し、それから水澤観音寺を見学して、日本総本山予定地に向かいました。建設予定地には夕方4時頃に到着し、寒さが強くなってきているにも関わらず、全員が御山に向かってお経を唱えている姿は、とてもすばらしい光景でした。また、現地の倉庫に掲示している施設の概要図や計画図を眺めながら、工事の着工は?完成は? といった質問が皆様から飛び出し、楽しみにしています!また必ず来ますよ!日本大和協会の皆さん、慈怡法師と協力してすばらしい日本総本山を作ってください!との 暖かい励ましがありました。
<佛光世紀3号>

2007年8月6日月曜日

地域交流報告


2005年2 月19 日(土)私たちは、慈怡法師様と共に 伊勢崎市と国際交流伊勢崎21 という団体が主催する「国際化・シンポジウム」に参加しました。
このシンポジウムの目的は「外国人と日本人」が国を越えお互いが真に人格を尊重し合い、歴史や文化を共有し すべての人が明るく安心して暮らせる伊勢崎市を目指す という集まりです。 伊勢崎市長さんの挨拶の中で、伊勢崎市に在住する外国人は1 万人を越え群馬県下で在住外国人の最も多い市(地域)になったことを強調しておられました。この事により行政の立場としても多分野において問題提起する事となりこの様な取組みが必要になった事と思います。この傾向は、群馬県に限らず他県においても同様であろう。 日本は今後益々 多文化共生の社会が進むであろうし、その中でお互いの歴史・文化等に理解を深め合い、共生の道を模索するという姿勢が求められるであろう。パネリストは、ボランティア団体・行政・地域・教育・法律の分野から外国人2 名を含む6 名が中心となり3 時間熱弁をふるった。又、アトラクションでは 台湾山地族の踊りを 当協会員が中心となり披露しました。当協会員の聡明なお嬢さんがこの振付けをしたそうで、拍手喝采を受けました。
2005年2 月20 日(日) 慈怡法師様は 日本中華聯合総会群馬総会の新年会に招待を受けました。 開会の挨拶に立った群馬総会長さんは、伊勢崎市で開業する医学博士で在日も永く、流暢な日本語を話される温厚で人望を集める会長さんです。
私たち日本人に気遣ってか終始日本語で話され、台湾では、旧暦の正月(2005年は2 月9 日)を祝うので 2 月中はまだ新年であることを にこやかに話されました。そして、2004年末に中国全人代常務委員会で討議された「反国家分裂法」について話されました。日本在住の台湾同胞を代表して、日本中華聯合総会は、反対声明を発表した。この反国家分裂法は、明らかに台湾が自主独立を主張した時、合法的に武力行使を正当化するというものです。こうした中国のやり方は、「民主」の普遍的価値と原則に反し、台湾の民意・人権を無視した悪法であることは明らかで、絶対に認めてはならない。「陳水扁総統は、昨年五月二十日の就任式において、もし 両岸が善意に基づき、平和な発展と自由な選択を行える環境を共同で築くことができれば、台湾と中国の間でいかなる形式の関係にせよ、国民が同意するならば、いかなるも排除せず。」と話しているとおり、柔軟な姿勢をみせた矢先の横暴である。と 熱ぽく説明されました。 古今東西 政治的思惑がいき過ぎた為に、多くの命が犠牲となる歴史を人間は繰り返しています。しかし 古く日本では、仏教を「国家の帰」と位置付けしたのが聖徳太子であります。その太子が作成した憲法17 条の第二条は「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏法僧なり。即ち、四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人か、是の法を貴ばざらん。人はなはだ悪しきもの鮮し。
能く教ふるをもて従ふ。それ三宝に帰せざれば、何を以てか枉れるを直さん。」と 結んでおります。
我々は社会生活をする中で、是非・善悪・損得等といった判断をします。その判断の物差しとして、不変の教え、不変の物差しである仏教の思想を政治に反映させた人物であったと思います。 太子の心には、政治家は世間に迎合するのではなく、世間を超越した「不変の価値」を持ち、それがあってこそ、世間の歪み・問題の是正ができる。と考えたからです。対話と強調の立場を深め、平和的に解決してほしいと願うばかりです。
慈怡法師様は、来賓の挨拶にたち 「因縁生起」のお話をされました。会場に怡師父の声が広がっていくと、騷めきも消え 皆が熱心に聞き入り、会場内のムードが一変荘厳されました。お話が終わると盛大な拍手を受けました。又、改めて講演会をして欲しい等等お願いをされました。会場内は終始和やかな雰囲気で、歌や踊りも披露され話の尽きぬ中、閉会の時間を迎えました。
<佛光世紀3号>

佛光山花木奇石芸展


台湾高雄佛光山の本山が1980年より、毎年「春節平安灯会」を開催しております。年ごとにテーマを変えて行っております。その宗旨は、社会の一般大衆に春節の休暇中に、「お寺へのお詣り」や「見学」など心の癒すところを提供することであります。
2005年の特色は、「花木奇石芸展」という主題で、生命教育園区、山林原野区、花芸景観区、寺院叢林区などの四大区域に分けられ、それぞれに特色があり、合わせて十六大特色といわれています。
主題名称の中にある花は、「霊花」ということで、咲いている花は人々に「説法」するように、佛法の真意を示現しています。その花の種類は百あまりがあり、総数は百万本以上です。
一方、2005年は酉年である為に、佛光山が世界各地から石、水晶、鉄、紙、布、陶器、貝殻、ガラスなど材質不同の「鶏」を数百種類集めて展示されております。「主題鶏」の大きさは八米の高さです。鳴き声が雄大で、しかも「阿彌陀佛」「こんにちは」「您好」などの挨拶ができます。展示会では人気ものの一つとなっています。
<佛光世紀3号>