2008年8月27日水曜日

会員大会開催のご案内

2008年10月4日~11日まで、高雄の本山で会員代表大会が開催されます。
大和協會は次の二つの班に分かれて参加致します。

第1班:10月3日~11日
第2班:10月7日~11日

世界各地より佛光会員が台湾高雄の総本山に集います。佛光山への理解を深める良い機会です。多数の大和会員のご参加をお待ち申し上げます。 (事務局)

2008年8月25日月曜日

第四分會活動報告


2008年4月27日(日)、下仁田道場において、25名の方が参加し、第4分會活動が行なわれました。
分会活動は、座禅と慧僧法師の講和でしたが、今回始めて参加される方が多くいましたので、自己紹介も行ないました。活動は和やかな雰囲気の中で行なうことができましたので、会員間の親睦を深めることもできたと思います。
慧僧法師より次のような話がありました。

①座禅について
 留学中に東京でサミットがあり、そのときに中曽根首相は10分間座禅をしているというのを知り、感心しました。
 座禅の効用は
  1)精神力を高める
  2)集中力を高める
  3)気持ちの切り替えが
早くなる です。

②人間佛教について
 佛教は2500年の歴史がありますが、戒律が厳しすぎると社会とのかけ離れが生じます。修行とは特別な厳しいものではなく、日常生活の中で自分をチェックすることですので、それを理解してもらうために人間佛教という言い方をしています。

③講話「蘭を植えたのは」
 『金代禅師は蘭が大好きで、たくさんの高級な蘭を栽培していました。それはそれは大事に、わが子のように蘭に愛情を注いで世話をしていました。
 ある日、禅師は外出することになり、蘭の世話を弟子に頼みました。
 弟子は師の大事な蘭なのでしっかり世話をしようとしましたが、うっかりつまづいて蘭の棚を倒してしまいました。蘭の鉢は粉々です。
 弟子は呆然として師の帰りを震えながら待ちました。金代禅師が戻るとすぐに足元に跪き、自分の過ちを懺悔しました。
「先生、蘭の鉢を台なしにしてしまいました。どんな体罰をされてもかまいません。どうか先生、慈悲を恵んでください。怒らないでください」
 金代禅師は弟子の話を聞いても怒りはしませんでした。そして何もなかったように言いました。
「私が蘭を育てていたのは一つに仏に供えるためであるし、一つは環境を美化できるからでだ。怒るために蘭を植えたのではない」
 私たちはこの世に怒るために生まれてきたのでもないし、煩悩に惑わされるために生まれてきたのではないのです。
 夫婦関係、子供の教育、友だちのつきあい、仕事の人間関係においても、もし、金代禅師の「怒るために蘭を植えたのではない」という一言を座右の銘にしていれば、お互
いの誤解、争いがなくなるでしょう。
「怒るためにこの世に生まれたのではない」
 この言葉は暗い気持ちを追い払い、心の喜び、安楽、平和が入れられている素敵な宝箱のようなものです。この宝箱を開けるのも開けないのも、あなたの心ひとつということです。』

これを読んで心に残った言葉を聞きました。
多くの方が「怒るために蘭を植えたのではない」、「怒るためにこの世に生まれたのではない」と答えました。
その他、「弟子は呆然として師の帰りを震えながら待ちました」という方もおられました。
そして、「わが子のように愛情を注いでいる蘭ということですが、わが子であったらどうなのですか」という質問もでました。
慧僧法師は、禅師は蘭の鉢が割れたのを諸行無常へと切り替える、その気持ちの切り替えが早かったとおっしゃり、また、何事にも因果関係が有り、良い縁を結ぶことが自分の幸せ、そして世界の平和にとって大切と諭されました。
<佛光世紀13号>

2008年8月19日火曜日

心定和尚様講演会

2008年6月21日(土)伊香保町のホテル天坊インペリアルホールにて、心定和尚様の講演会“金剛経が説くさとりの世界”が開催され、約230名の方々が参加されました。
以下に、講演会の内容を掲載いたします。 

国際佛光会大和協會会長、ご来場の会員の皆様、佛光山の各位法師、渋川市の議員さん、天坊社長さん、ご来賓の皆様、こんにちは。
私は伊香保に来るのが四回目で、とても喜んでおります。
 かつて、大和協會会長が群馬県議員・関係者とご一緒に佛光山総本山を訪問され、建設の打合せを行いました。私はまた何回も伊香保町役場を訪問しまして、寺院建設について打合せをしてきました。 これが完成しますと、群馬佛光山寺・伊香保温泉・水澤観音と、この地に名所が3カ所となり繁栄をもたらすと思います。

 今日、皆様にお話しするテーマは「金剛経の説く悟りの世界」です。金剛経の一番大きな意義は、自分自身の心身、体と心の理解と悟りにあります。そしてできる限り他の人にも心の自由自在を与えられるようにします。体と心が自由であることはとても大切なことです。

 人々は日常生活においてたくさんのプレッシャーがあります。血糖値・コレステロール・血圧が高いというのも、毎日のプレッシャーと関係があります。他の社会問題、例えばアメリカの大学で起きた銃の乱射事件や、最近日本で起きた通り魔事件も、初歩的なストレスのとける方法がなかったために起きたものです。

 金剛経は「応無所住而生其心」(おう・む・しょ・じゅう・じ・しょう・そ・しん)を説きます。執着が無くなると自分の真心が生まれてくるということです。そして、金剛経は、無我相・無人相・無衆生相・無寿者相の四つを説きます。

 誰でも自我が存在すると考えていますが、我相(がそう)があると、自分を保護するという執着がでてきます。例えば身体検査を行った時、体に異常があると緊張しますが、これは自我に対する愛情から生じます。そして、自分が愛し、執着することに何か変化があったり、得られなかったりすると、感情の変化を起こし、悩みが生じます。
 子どもが自分に対する愛情が満たされない時に、色々なことをおこして、親の関心を引くような行為を行うのもその一つです。

 人相(にんそう)というのは人間の個我という観念であり、個人という思いです。
 衆生相(しゅじょうそう)は前世、今世、来世から来た観念です。人は必ず前世、現世、来世があり、いつも人間として生まれ変わるとは限りません。亡くなって生まれ変わると色々な相ができて、ある時は天に生まれ、ある時は畜生に生まれます。

 昔、あるお金持ちがいて、沢山の人がお金を借りに行きました。借りたお金を返してくれる人もいますが、返してくれない人もいます。そしてそのお金持ちはお金を返してくれない人たちに対し、私に、いつお金を返してくれるかを尋ねました。ある人は来世に馬に生まれてあなたを乗せて奉仕して返します。ある人は、来世に牛として生まれて、あなたの畑で仕事をします。と言いました。またある人は、来世にあなたのお父さんに生まれます。と言いました。そうすると、お金持ちは、私にお金を返さないのに私の親になろうとするのかと怒りました。その貧しい人は、ちょっと待ってください、もし来世にあなたのお父さんになれば、私は一生懸命あなたのためにお金を稼いで、そしてそのお金を「自分のために使わないで死ぬ前に全部あなたに渡します」と言いました。皆さんこの話は笑い話のように聞こえると思いますが、こういう考え方は中国人にはよくある伝統的な考え方です。

 金剛経は我々に自我の相、人相、衆生の相という執着心を亡くすように教えます。
 自我の相がないことをいかに理解できるでしょうか。我々の命は肉体的なものと精神的なものがあります。物質の観点から見ると、固体、液体、気体に分けられ、全てのものはこの範疇に入ります。
 人間の肉体も、肉や骨などの固体や、血液や体液などの液体、息などの気体がありますが、人間が亡くなると、それらは消えていきます。牛、馬もそうです。無しから有りになり、因縁の変化で消えてしまいます。建物も木材と鉄骨・セメントの組み合わせで一つの建物ができていますが、時間が経てばもう使えなくなるか、もしくは、解体して、建て直すことになります。この地球上の物質は、因縁の変化でできて、また因縁の変化で消滅してしまいます
 もしあるものが最初からあって、いつも消えなくて実際もあるというのが実在のものです。
しかし、ある関係とか因縁とか条件の組み合わせでできたものは、必ずまたそういうような条件や因縁の変化により、消えてしまいます。この世の中の有りは仮の有りです。本当の有りではありません。

例えば水は、飲んだり、洗濯、畑の潅漑もできますが、自分で自主的に決めることはできず、因縁の変化によって変わります。水は高温になったら空気になり、冷えると氷になります。
水は自分で自主的に決めることはできません。因縁の与える条件によって変わりますので、仮の有りといいます。
 禅宗で、山を見ても山ではない、水を見ても水ではないというのがあります。山は土や木の集合体ですし、水はH2Oで水素と酸素の結合したもので、全て仮の有りです。
人間の心と意識を理解するのは難しく、実際は心も意識も仮のものです。人間の心と意識は環境によって変わります。好きな人の前では自然に笑いますし、嫌いな人の前ではニコニコできません。人間の感じることは条件によって変わります。
 伊香保で行われている佛光山の建設計画に対しても、関心を持つかどうかは色々な条件によります。また本日の講演会についても、台湾の和尚さんがどのような話をするのか分からなくても、友達が行くから私も行くという場合があるように、自分が何をしたいかを決定するのは因縁の変化によって変わります。因縁の条件によって決定すると言うこと、それを我々は仮の相といいます。
 心の意識は貯蔵機能を持っていて、話したことや行ったことを記憶して蓄えることができます。そして、記憶したことを行うことで習慣になります。それが良い記憶による習慣であれば良い影響を及ぼしますが、悪い記憶による習慣であれば今世で改めなければなりません。と言うのは、来世で影響するからです。
 
例えば、ある大金持ちですが“けちな人”と、貧乏ですが“人を助けることに熱心な人”という二人の人がいました。ある日、乞食を見た時に、お金持ちは悩みました。と言うのは、お金をあげるともったいないし、あげなかったらけちと言われます。一方、貧乏の人も悩みました。それは、お金をあげたくてもお金が無く、またお金をあげなければかわいそうと思うからでした。 この二人が同じ時期に亡くなり閻魔王のところにいきました。閻魔王は二人にまた人として生まれていいと言いました。そして、毎日人からお金をもらう人に生まれるのか、毎日人にお金をあげる人に生まれるかは「自分で選択しなさい」と言われました。
お金持ちは、毎日お金をもらえる人を選びました。お金がなくて、人の世話に熱心な人は、毎日人にお金をあげる人を選択しました。すると、閻魔王はお金持ちに対し、それでは来世はこじきに生まれなさい。そうすれば、毎日人からお金をもらえます。貧乏な人に対しては、来世はお金持ちに生まれなさい。そうすれば毎日人にあげるお金がありますと言いました。

 このように、人間が記憶したものが習慣となったものが、来世に現れるのです。同じ親から生まれた子どもの個性が違うのは、意識が親から与えられるからではなく、長期間で徐々に蓄積した前世の記憶体の影響を受けているからです。赤ちゃんが母親のお腹の中に入ったときに、それは立派な一つの肉体ですが、意識はその後徐々に蓄積してきます。人間の感じたこと、それで受けたこと等は肉体に頼らなければならず、自分で自主的に表すことができないため、仏教からみると、意識も本当のものではなく仮のものです。

 我々の体は、気体、液体、固体と意識の4つの元素が集合したものであって、みんな仮のものです。体は物質体の体と、精神体の意識の結合体です。無我相というのは、こういうような感じから分析したもの、自我に対しての悟りです。今世は見るもの全てが仮のものですが、人に対しては助けてあげなければなりません。例えばある人が県議員とか、知事になろうとした場合、その前に人を助ける熱心さがなければ知事や議員にはなれません。人間同士に生まれて、過去に結んだ縁がいいかどうかで決まります。だから現世で良い縁を結びます。

 今、金剛経では、無我相、無人相は全て仮の相なので、執着しないようにと説いています。
執着しないと我々の心は解脱することができ、自由になります。しかし、普通の人は有我相、有人相、有衆生相になってしまうので、執着してしまい、悩みが生じるのです。 好きでないことであれば、いつも心に悩みがあるのです。

 あるお年寄りが2階建てのビルを持っていました。自分は1階に住み、2階を人に貸すことにしました。家賃は多少あればよく、ただ条件は、静かにしてもらいたいことでした。ある若者がそこを借りることになりました。暫くお互い平和に過ごしましたが、ある日、若者が夜中にパーティーから帰ってきました。余りにも疲れていたので約束事を忘れてしまい、ベットに横たわったとき、靴を蹴飛ばして脱ぎました。すると、大きな音がしました。
 翌朝、そのお年寄りがドアをノックし、「どうして昨夜は非常にやかましかったのですか。私はなかなか寝ることができませんでした」と、言いました。若者は謝り、次は注意しますと言いました。
 それから暫くして、若者が酔っ払って夜中に帰ってきました。若者は余りの疲れに、ベットに倒れて靴を蹴飛ばしました。一つの靴を蹴飛ばした時に大きな音がしたので、目が覚め、もう一つの靴は静かに脱ぎました。
 翌朝、お年寄りがまたドアをノックしました。若者は先に謝り「ごめんなさい。私は一つの靴を蹴飛ばした時気がついたので、気をつけてもう一つの靴は蹴飛ばしませんでした。」と言うと、お年寄りは「一つの靴を蹴飛ばす音を聞いたから、もう一つの靴をいつ蹴飛ばすのかと、ずっと待っていて、眠れなかったですよ」と言いました。
 金剛経は、世の中の全ては因と縁の結合のものと教えます。人間の体と意識も因縁の結合です。だから自分に執着しないということは非常に良いことであり、こういう心構えを持つと、これから私達は日常で処理する方法が違ってくると思います。悩みについても、こういうことが分かれば、まあしょうがないと思うようになります。これは自分を解脱することの一つの意味です。
 金剛経の教えは自分だけが解脱するのではなく、全ての人を指導して解脱させてあげなければなりません。全ての人が災難・苦痛の無いように、慈悲の心を持たなければなりません。慈悲心で人を助け、食べ物を与え、生きがいを与え、人を幸せにします。色々な善をしても、自我に執着しません。我相、人相、衆生相、そういう執着心があったら、慈善事業をやっても悩みがあり、うまくいきません。我相、人相、衆生相があれば、傲慢な心や嫉妬心が出てきます。金剛経の教えは、全てのことに対して執着をしないことです。全て実在のものではなくて、人間は全部仮のものです。お釈迦様が教えてくれた縁を結ぶというのは、「自分がいかに偉いかという執着心を無くして下さい」と言う教えです。全ての自然界の教えるものは、因縁によって生じて因縁によって消滅します。そして、心がそこから逸れないようにして下さい。
先程話をしたように、上の人が蹴飛ばした靴の音が聞こえて、自分の心がその音によって逸れてしまうと、心に罜礙(けいげ)が出ます。そしてその罜礙がでますと心が不安になります。又、慈善活動でお金を寄付しても、お金を渡した人が“間違いなく届けてくれるかどうか“とか、この思いを持っていると、自分の心の自由自在が無くなってしまいます。
自分は実在のものでは無く、そのお金で助けられる人が実在であります。自分は実在のものと思わないで下さい。空と云うことは、執着を離れることです。
縁を結ぶというのは、非常に高度な知恵なのです。人を助けるという大きな慈悲心が生じてくるとき、いつも「応無所住而生其心」という気持をもって、執着の無い気持ちで人を助けるのは福報を得ることです。

佛法を学ぶことは 誤作動をする福と知恵、情報を思慮する心の在り方が重要です。
今日は長い間話を聞いていただきました。私は大勢の日本の方々と一緒に勉強していけることが、非常に嬉しいです。 菊地会長・副会長が熱心に招いて下さり、感謝しています。
また、会場やサービスを提供して頂いた天坊さんに感謝致します。
皆様の毎日が、喜びと幸せであることをお祈りいたします。
ありがとうございました。
                  通訳(翻訳): 国際佛光會世界総会理事 
<佛光世紀13号>

2008年8月11日月曜日

ミャンマーサイクロン災害・中国四川省義捐金お礼

ミャンマーサイクロン災害・中国四川省で発生した大地震の救援活動として、義捐金募集を呼びかけました。
会員ご友人多くの善意ある方々より1,460,000円の浄財が集まり 国際佛光会亜細亜総会本部を通じ被災地に送ることができました。
ご協力頂きました方々に本紙面をもって御礼申し上げます。
                                                                                   
                                国際佛光会日本大和協会  合掌 

2008年8月1日金曜日

2008年8月 行事予定

8月 3日 報恩會・幹部懇親 10:30~ 於伊香保

8月 5日~10日 中国大覚寺訪問

8月23日 共修禅 10:30~ 於下仁田

8月28日 第一分會活動


共修禅の活動には中国語講座等も含みます

2008年7月 行事予定

7月 6日 報恩會・理事會 10:30~ 於伊香保

7月19日 共修禅 10:30~ 於下仁田

7月26日~27日 研修会 於本栖寺


共修禅の活動には中国語講座等も含みます

2008年5月28日水曜日

2008年6月 行事予定

6月 1日(日)   報恩會・理事會 10:30~

6月 5日(木)   第三分會活動

6月14日(土)   共修禅 10:30~ 於下仁田

2008年5月27日火曜日

ミャンマーサイクロンと四川大地震の義捐金募集

ミャンマーサイクロンと四川大地震の義捐金を「一口1000円」にて募集しています。

申し込み締め切りは2008年5月31日です。

ご協力よろしくお願い致します。

第4分会分会活動


2008年4月27日(日)
参加者 25名(多くの方が今回初めて参加)

11:00 秘書長より佛光会の概要紹介
11:10 慧僧法師より座禅についての説明
11:40 座禅(10分間)
12:00 昼食 
13:00 自己紹介
13:10 講話 題材「蘭を植えたのは」
13:40 連絡事項(カタクリや手もみのお茶の紹介)
13:45 終了

分会活動は、自己紹介や慧僧法師の講和の際に笑いもでて、和やかな雰囲気の中で行なうことができましたので、初めての方でも違和感や偏見をもたれた方はおられないと思います。

なお、慧僧法師より次のような話がありました。

①座禅について
 留学中に東京でサミットがあり、そのときに中曽根首相は10分間座禅をしているというのを知り、感心しました。
 座禅の効用は
  1)精神力を高める
  2)集中力を高める
  3)気持ちの切り替えが早くなる
 です。

②人間佛教について
 佛教は2500年の歴史がありますが、戒律が厳しすぎると社会とのかけ離れが生じます。修行とは特別な厳しいものではなく、日常生活の中で自分をチェックすることですので、それを理解してもらうために人間佛教という言い方をしています。

③講話「蘭を植えたのは」

『金代禅師は蘭が大好きで、たくさんの高級な蘭を栽培していました。それはそれは大事に、わが子のように蘭に愛情を注いで世話をしていました。
 ある日、禅師は外出することになり、蘭の世話を弟子に頼みました。
 弟子は師の大事な蘭なのでしっかり世話をしようとしましたが、うっかりつまづいて蘭の棚を倒してしまいました。蘭の鉢は粉々です。
 弟子は呆然として師の帰りを震えながら待ちました。金代禅師が戻るとすぐに足元に跪き、自分の過ちを懺悔しました。
「先生、蘭の鉢を台なしにしてしまいました。どんな体罰をされてもかまいません。どうか先生、慈悲を恵んでください。怒らないでください」
 金代禅師は弟子の話を聞いても怒りはしませんでした。そして何もなかったように言いました。
「私が蘭を育てていたのは一つに仏に供えるためであるし、一つは環境を美化できるからでだ。怒るために蘭を植えたのではない」
 私たちはこの世に怒るために生まれてきたのでもないし、煩悩に惑わされるために生まれてきたのではないのです。
 夫婦関係、子供の教育、友だちのつきあい、仕事の人間関係においても、もし、金代禅師の「怒るために蘭を植えたのではない」という一言を座右の銘にしていれば、お互いの誤解、争いがなくなるでしょう。
「怒るためにこの世に生まれたのではない」
 この言葉は暗い気持ちを追い払い、心の喜び、安楽、平和が入れられている素敵な宝箱のようなものです。この宝箱を開けるのも開けないのも、あなたの心ひとつということです。』

これを読んで心に残った言葉を聞きました。
多くの方が「怒るために蘭を植えたのではない」、「怒るためにこの世に生まれたのではない」と答えました。
その他、「弟子は呆然として師の帰りを震えながら待ちました」という方もおられました。
そして、「わが子のように愛情を注いでいる蘭ということですが、わが子であったらどうなのですか」という質問もでました。


慧僧法師は、禅師は蘭の鉢が割れたのを諸行無常へと切り替える、その気持ちの切り替えが早かったとおっしゃり、また、何事にも因果関係が有り、良い縁を結ぶことが自分の幸せ、そして世界の平和にとって大切と諭されました。

2008年3月28日金曜日

2008年5月 行事予定

5月11日 報恩會・理事會 10:30~ 於伊香保

5月15日 第三分會活動

5月17日 第五分會活動(読書)

5月24日 共修禅 10:30~ 於下仁田

      共修禅の活動には梵唄も含みます。

2008年3月14日金曜日

2008年4月 行事予定

4月 6日 花まつり・報恩會 11:00~ 於下仁田

4月10日 第三分會活動

4月17日 第一分會活動(佛教理解)

4月19日 共修禅 10:30~ 於下仁田

4月27日 第四分會(慧僧法師法話・座禅) 11:00~14:00 於下仁田

      共修禅の活動には梵唄も含みます。

2008年3月13日木曜日

2008年3月 行事予定

3月 2日 報恩會 13:00~ 於伊香保

3月 6日 第三分會活動 13:30~

3月 8日 第五分會活動(読書)

3月14日 第二分會活動(布教)

3月15日 共修禅 10:30~ 於下仁田

      共修禅の活動には梵唄も含みます。

2008年2月28日木曜日

第5分會活動


『第5分會活動報告』

2007年11月10日に、第5分會主催の講演會がさいたま市において催されました。
生憎の雨天にも拘らず30名近くの方々が参加され、大和協會の指導法師であられる慧僧法師のお言葉に熱心に耳をかたむけられていました。
お話は、臨済宗の歴史から星雲大師のこれまでのご活躍に触れられた後、佛教は慈悲の心の実践、業、因縁、無常、きずなについて、いろいろな卑近な例を用いながら解りやすくご説明されました。特に日常生活の中での実践を説かれていました。
最後に、坐禅の仕方について、まず、座禅の目的・効能をご説明された上で、初めての方にも解るように、実際に足の組み方(結跏趺座、半跏趺座)や手の組み方、呼吸の整え方等をご指導されました。参加された方からは「解りやすかった」、「(座布団を利用する事や座禅前後の体のほぐし方など)目から鱗が落ちた」との声も聞かれ、有意義な時間を過ごすことが出来ました。今後に続く活動になったのではないかと思えた一日でした。
<佛光世紀12号>

2008年2月26日火曜日

第3・4分會活動


『第3・4分會活動報告』

自分は第二分會ですが、第三分會へ移籍する事を會長に御伺いたてたところ、快く承諾していただきました。今回以降第三分會にて活動したいと思います。
さて、分会の説法を行う先生は慧僧法師です。法師は日本の横浜市立大学経済学部を卒業され、その後出家なされたとの事ですが、ご両親は大変反対なされたそうで、それを振り払っての出家であるとの事でした。そんな訳で日本語は大変堪能で留学当時は日本語で考え日本語で話すという事であったが、一時期日本を離れた時もあったので、少し不得意になってしまったとか、しかし、こちらとしてはブランクなど全く感じさせない流暢さでした。
説法の中で、人間は捨てる事を必要とし、忙しい事は嬉しく想い、働くことを財とし、また耐えることは力とし、以上の項目を身上とし、生活の質を上げる事こそ全ての力である、という話でした。
自分も過去を振りかえらず、過去を忘れ、前を見据え、一歩前に踏み出し、健康に注意し、佛光山に微力ながら協力できるように目標を立て、内なる自分の敵と闘い、この世の娑婆と強調し、少しだけ欲を出し、欲を満たした後はピカピカ、ピンピン、ピンコロリと終わりにしたいと思います。
今後第三分會をお引き立てくださいます様、宜しくお願いいたします。

『第3・4分會活動報告』

2007年10月24日、第3・4分會合同の分會活動を下仁田の布教所で行いました。予てより地域の會員との親睦の機会を持ちたいと思っていましたので、大変良い機会と考えました。
活動の目玉として、群馬佛光山寺副住職の慧僧法師に講演をお願いして私達の見識を深める良い機会でもありました。慧僧法師は、日本に赴任する前は泰国、南アフリカと海外での生活経験も豊富にあり、其々の環境や民族により習慣、常識も違ってくる等興味深い話をして下さいました。又、今、日本のマスコミで騒いでいる賞味期限・消費期限の改ざん問題、白い恋人・赤福、次々と出てきますが、佛教で教えている「因果関係」について解りやすく話してくださいました。自分のした事は自分のした事は良い事・悪い事でも必ず自分に帰ってくる。人として如何にしたら良いのかは、今が良ければではなく、相手を思いやる気持ちが大切であり、この因果関係を理解できればこの様な事件はなくなると思います。“今が良ければ”ではなく、今自分は何をするべきか・・・今日一日一日を大切にしたいと思いました。
慧僧法師様、有難うございました。ご協力を頂きました皆様有難うございました。
合掌
<佛光世紀12号>

2008年2月22日金曜日

「オーストラリアを訪問して」


平成19年10月5日、やや秋の気配を感じる頃、日本とは季節の反対となるオーストラリアの視察、ならびに佛光山寺南天寺世界総會理事會議へ行って参りました。季節も逆、気候も異なる、そして初めての場所という事で、観光の部分だけでも大変興味がありました。南天寺の感想としましては、私は屋根工事に携わっているという職業上、どうしても屋根に目が行ってしまいます。各所の収まり、また、単純に漏水は大丈夫かと思ったりもしました。けれども大変美しい建物だと思いました。オーストラリアという開拓地に基本的には信仰の違う異国の地に、立派な建物がそこに存在しているといった感想でしょうか。さすがに世界規模というか、やはり佛光會は国際的に信仰されているんだと改めて思いました。
南天寺世界総會理事會議では、さすがに私は語学に乏しく、祭典での言葉はまるで理解ができなかったのですが、雰囲気や表情などでだいたいの察しはつきました、自然と心が落ち着いた印象を覚えています。初日の會議を終えて私はオーストラリア観光へ行って参りました。そして、冒頭の興味を埋めるのに充分な観光でした。そんな旅行を終えてみて、佛光會世界総会やオーストラリア観光という貴重な体験をさせて頂き、大変ありがたく感謝しております。日本から一緒に旅行に帯同して頂いた慧僧法師を始め、會長や副會長の方々、また観光の方では、面倒を見ていただいた副會長、理事、大変有難う御座いました。今回の旅行の経験に感謝して、また日々の生活に精進して行きたいと思います。
<佛光世紀12号>

2008年2月21日木曜日

「シドニー南天寺」の世界総會理事會議に参加して!!


平成19年10月5日~10月11日までの一週間にわたりオーストラリアのシドニーにある南天寺にて開催されました國際佛光會世界総會理事会議に参加してきました。大和協會からは、指導法師の慧寛・慧僧法師と会長を筆頭に総勢11名にて参加しました。今回の旅では、会員のほとんどの方が初めてのオーストラリア訪問であり、北半球から南半球への飛行機移動による機中泊にて睡眠不足等も多かったようです。
さて、1日目は長い機中泊を終えてシドニーに早朝到着し、食事のためにシドニー市内を散策して機中泊の疲れを癒し?ながら、南半球の第一歩を満喫しました。時差がほとんどないことが救いでした。オーストラリアは大陸であり、日本のような島国に比べてゆったりとした時間の流れであり、ガイドの弁では「ハエは非常に多く、比較的ゆったり飛んでいるので、日本のように手で払うと叩き落されてしまうとか・・・」なんとも大陸的な話です。昼食を終えて一路南天寺に高速道路にて二時間近くかけて到着!
 遠くから、佛光山寺特有の色の建物が見え、山門をくぐり、寺院に近づくにつれて世界各国の会員が敷地内に居り、懐かしの国際佛光会ベストの金色が一杯でした。
 世界総會理事會議は明日(7日)からですが、本日は、星雲大師様を迎えての「南天寺大学起工式」と「歓迎晩餐会」「大会前会議」と「會議手冊」のスケジュールに前日から組まれていました。
南天寺は広い敷地の中腹に位置し、裏は小高い山と眼下の前面には高速道路が通っており、この道路の上を橋にして対岸の南天寺大学に接続する大規模な事業が進められており、今日がその事業の起工式として星雲大師様により先鞭をつけられました。夜の歓迎晩餐会では顔見知りの會員幹部の方々が多く見受けられ、日本大和協會の面々は、遠く日本からの来訪により、最前列に案内され、歓迎式典を間近に見ることができました。
 二日目、三日目の會議に際しては、本栖寺の満潤法師様が通訳としてすべての會議に同席して通訳をして頂き、今まで以上に理事會議の内容や、「星雲大師様や慈容法師様」の法話等が理解できたことは、今回の大きな収穫の一つでした。後で、慈容法師様から、「今回の世界総會理事會議では、日本や韓国の方々への通訳を目的としたプロジェクトチームを結成して臨んでいる」との話を聞いて、佛光山寺の會員への配慮に深く頭を垂れる気持ちになりました。
 満潤法師様も、時間を追い、日を追う毎に通訳の内容や表現が的確となり、通訳を聞いている我々も直接聞いているような錯覚さえ感じる見事な通訳でした。
 さて、理事會議も最終日になり、本来であれば閉會式後の「佛光之夜」に参加しての終了ですが、日本への帰国等の都合により、午後には南天寺を後に日本に帰国すべく、一路ブリスベンに向かうことになりました。南天寺を後にシドニーからブリスベンへは約8時間ほどかかり、「うーん オーストラリアは広いんだ!!」と再確認。ホテルには夜の8時過ぎに到着して移動距離にぐったりしてしまいました。オーストラリアは、人口は日本の1/6、土地は20倍なので、都市部を少し離れるとほとんど人は見あたらず、市内でも日本のような人混みはなく、ほんとにゆったりとした環境でした。
 帰国は、ホテルを朝5時に出発のため4時前からゴソゴソと帰国の準備に追われ、帰りの飛行機は日中のため、往きほどの大変さもなく、座席の混雑もなかったので、比較的楽に帰国することができました。
 ところで、オーストラリアを出発して1時間位、「バタフライ・アイランド」の機内放送があり、眼下に鮮やかな蝶の形をした小さな島を見つけることができました、これを見られるのは、「幸運の証」とのこと。佛光山南天寺での理事會議参加を終えて、最後の飛行機中に「幸せの島」を見ながら帰路につけたことに、今回のオーストラリア南天寺への参加の意義を感じました。最後に、今回の理事會議に際し、関係各位に大いなる準備や歓迎に感謝すると共に、通訳をして頂いた満潤法師様並びに佛光山寺関係各位に、この紙面を通して感謝いたします。ほんとにありがとうございました。
 今建設中の群馬佛光山寺にて世界大會が開催される日も遠くないと思いますが、そのときは、オーストラリア會員の方々にひけを取らない歓迎を、日本大和協會として準備していくことが必要だと感じました。
<佛光世紀12号>

2008年2月20日水曜日

「2007國際佛光會世界総會理事会議」参加報告


2007年10月5日から11日に至る7日間、國際佛光會世界総会理事會議(オーストラリア南天寺)に参加するべく、大和協會から総勢11名が行って参りました。
<佛光世紀12号>

2008年2月19日火曜日

本栖寺幹部講習会


夏も終わりの2007年9月22日(土)から24日(月)の3日間本栖寺にて日本区各協会連合幹部講習会が開催されました。
天気は生憎の曇り空でしたが程よい気温。
 大和協会からは會長以下総勢9名で参加しました。
 講師は、慈容法師、満潤法師に大和協会指導法師であられます慧寛法師、慧僧法師です。
 上記の理由も手伝って大和協会参加者一同は自ずと真剣に耳を傾けておりました。

講義内容は、満潤法師が佛光会信者としての基本理念について、慧寛法師がコミュニケーションの基本原則とその術を例を交えながら時に面白可笑しく聴取者を飽きさせる事なく話されました。慧僧法師からは普賢菩薩について、「理、定、行」を司り、なかでも行の象徴であり、六波羅蜜(菩薩の修すべき六種の行)のうち心の安定を修する行の禅定を司る佛、最も優れた善を説く菩薩とされ、その十大願を解説されました。
 会議の最後は、慈容法師が登壇され、各協会長、副會長の佛光山寺と関りあえたきっかけ、現状について討論がなされました。
 最終日早朝には、朝山(山門から本堂まで礼拝)があり、終わったあとは何とも言えぬ達成感に似た心地良い感じが全身に充満しました。
これからも様々な会員を対象とした講習会が開催されますが、講習会は正に生きる上でのガソリンスタンド、物が不自由なく豊富に手に入る現在、心は反比例して貧しくなって来ていると感じます。会に積極参加して、ご一緒に自分自身の心を豊にしていきましょう。
<佛光世紀11号>

2008年2月18日月曜日

第2分會活動報告



去る2007年8月22日(水)、伊勢崎市文化会館において、第一回の第2分會会合を開催致しました。当日は会長ご夫妻及び副会長にご出席を賜りましたが、まず会長より「佛光山」についての概要を詳細にご説明頂き、更には仏教概論的なお話も大変分かりやすくして頂きました。
今回初めて参加して頂いた会員の方も多数いらっしゃったのですが、その後の質疑応答の場面においても大変活発な質問やご意見を頂き、改めて佛光山の教義の素晴らしさに感銘いたしました。今後、第2回、第3回と続く中では、更に有意義な活動ができるようにと精進していきたいと思います。
<佛光世紀11号>

2008年2月14日木曜日

慧寛法師 人生講座「EQ管理」 参加者の感想



『「EQ管理」の講演の感想 』
                           
「考え方は自分の行動に影響する。考え方の調整はEQ管理で最も重要。」と慧寛法師様は話されました。
EQ管理による考え方の調整の例として大変わかりやすかったのが次のお話です。
法師の講義に現れて、「あした、私を振った男を殺して、私も自殺します。この計画がうまくいきますようにと仏様にお祈りしにきました」と話す女性に、法師は、女性の気持ちに寄り添いながら、そう思うようになった因縁をゆっくりと観察してゆきました。そして、その女性の歪んだ思い込みの襞(ひだ)を解きほぐしていったところ、絶望して破滅への道へ進もうとしていた人が、一人の仏教徒へ変わっていきました。
また、「自分の考えを相手に理解してもらうのが大切。自分の感情が安定しているうちに平和的に発信した方がよい。」というお言葉からは、常に自分が「表現者」であることを自覚し、その表現に受け手(他者)が何を感ずるかというところまで気を配るようにせよということと理解いたしました。
今後、意識的に「EQ管理」を心がけ日々の生活を円滑にできたらと思います。


『天下の名湯伊香保温泉に慧寛法師様をお迎えして』

講演会が開催された9月16日は3連休の中日にあたり、天下の名湯伊香保温泉を皆様に表明するがごとく、大渋滞となりました。その熱気の冷めぬ中、慧寛法師様の「EQ管理」の法話が始まりました。
 会場はたちまち満席になり、会員の皆様は熱心に聞き入りました。さすが人間佛教と言われるだけあり、現在の乱れている日本の教育や日常茶飯事のような強盗殺人等、目をそらしたい程のできごとが多い現代社会にとって示唆に富む内容であり、EQ管理の精神に改めて深く感動しました。
あっという間に3時間が過ぎてしまいましたが、このような教えを有す佛光山寺の発展を祈念致します。
また、伊香保温泉でも佛光山寺の無事早期完成に向け、ホテル業界・法人が日夜活動しておりますことをお知らせ致します。

<佛光世紀11号>

2008年2月13日水曜日

慧寛法師 講演会


2007年9月16日(日)、伊香保町の群馬佛光山寺に隣接する群馬県森林学習センター(憩いの森)大会議室において、慧寛法師による人生講座「EQ(情緒)管理」が開催され、約120名が拝聴致しました。
<佛光世紀11号>

人事改定について

本会の組織の設立と発展、そして会員の指導にと、常に慈愛を持って私達を導いて下さいました慈怡法師・妙耀法師が人事により異動することになりました。つきましては、この場をお借りして、会員の皆様にまずはお知らせすると共に、法師様が尽くしてこられました足跡と、法師様から受けました無数の恩に対し、心より感謝の意を申し上げます。
 なお、後任の指導法師として、群馬佛光山寺住職慧寛(えかん)法師・副住職慧僧(えそう)法師が就任致しますので、併せてお知らせ致します。
合掌
<佛光世紀10号>

国際佛光会世界総会理事会議について

2007年10月6日~9日に佛光山世界総會理事會議がオーストラリアで行われます。
10月4日に出発をし、6日・9日は會議に出席、11日に帰国予定です。
会議内容につきましては、追って佛光世紀にてご紹介いたします。
<佛光世紀10号>