2007年7月31日火曜日

日本総本山建設予定地への訪問


2004年は、台湾より伊香保の日本総本山建設予定地への訪問が三回ありました。建設予定地には以前所有者の小屋と倉庫があり、その中に日本総本山の建設予定地の計画図面や建物の概略図面を壁に掲示して、訪問者に現地の状況と計画内容を説明しました。

 第一回目の訪問(2004 年10 月6 日:訪問者 34 人)
最初の訪問は、秋晴れの良い日になりました。台湾よりのご一行は、妙度法師を始め人間福報の方34 名が、先ず総本山の建設予定地の計画図等を見ながら慈怡法師らの説明を聞きました。その間、活発な質問があり、日本総本山への関心が大きいことが伺われました。
その後、隣接する水澤観世音を参拝し、伊香保町の名所である石段を体験して、水上町の温泉地に向かいました。

 第二回目の訪問(2004 年10 月31 日:訪問者 50 人)
二回目の訪問はあいにくの天候でしたが、50 人もの大勢の参加があり、慈怡法師の引導に、覺涵、妙蘊法師及び全員が御山に向かって『般若心経』を唱えた姿は、とても印象深いものでした。前回と同様に建物の概略図面を見ながら説明を聞いて、完成時期等の質問も多くありました。終わりにご一行は、水澤観世音、伊香保の石段を見物してから水上温泉に向かいました。

 第三回目の訪問(2004 年12 月20 日:訪問者 16 人)
三回目の訪問は、暖冬の冬晴れの一日でした。今回の訪問では、宿泊地を伊香保温泉塚越屋七兵衛ホテルにしましたので、早朝より伊香保の石段を体験し、それから水澤観世音を参拝して総本山建設予定地に到着しました。前回同様に、総本山建設予定地に向かって全員で『般若心経』を唱えました。また、総本山建設の予定計画を慈怡法師らの説明を聞きました。早朝には寒気が流れて寒い中、日本大和協會會長夫人が、お握りや善哉、コーヒー、お茶など温かいものを用意して全員を接待しました。

さらに、訪問者より新潟県中越地震への義援金を、多数の方々から頂きました。
<佛光世紀2号>

インドネシアスマトラ沖地震の義援金募集案内

テレビ・新聞等で既にご存じのことと思いますが、2004年12月26日午前8時にインドネシアのスマトラ島北端沖でマグニチュード9.0 の地震による津波で、スリランカ、インドネシア等で22 万人以上の犠牲者が出ています。
人類史上未曾有の甚大災害に対する援助に、国際佛光會が世界各国の信者に援助の協力を要請しています。先の、新潟県中越地震の義援金に続きまして再度の義援金募集のお願いで恐縮ですが、日本大和協會としましてもこの要請に応えるべく、會員皆様へ紙面にてお願いいたします。
義援金につきましては、取りまとめまして台湾の本山に送付し、本山より被災地に寄付されます。
<佛光世紀2号>

2005年1月度「報恩会」

2005年1月23日に「報恩会」を開催しました。1月の會員の誕生者は11名おりました。報恩会では、最初に慈怡法師を先導に「爐香讃」から始まり「南無本師釋迦牟尼佛」、「般若波羅密多心經」、「三皈依文」、「回向偈」のお経を唱えて始まります。それから、今月の誕生者に慈怡法師より記念品が手渡されました。報恩会では、慈怡法師より佛教に関する講話があり、「人間佛教の定義」に関する「三好」についてお話がありました。
1.説好話:口の修行
2. 做好事:身の修行
3. 存好心:心の修行
この「三好」の話を大変分かりやすく講話され、参加した會員一同心洗われるお話でした。
<佛光世紀2号>

2004國際佛光青年会議に参加して


2004年12月30日~2005年1月2日の4日間の日程で開催される佛光青年会議に参加すべく年の瀬も押し迫る29日夕刻日本を発ち、高雄の本山に向かった。空港に着くと椰子の木のお出迎え、真冬だというのに昼間気温は25℃の南国の世界。右も左も判らない私を佛教学生が私の事を待っていてくれ、勧められるまま車に乗り込んだ。エンジンがいつ止まっても不思議でないワンボックス車に揺られること約50分、河岸の高台に聳える本山に着いた。マレーシア、アメリカ、カナダ、オーストラリア、韓国、ブルネイ、イギリス等世界各地から約500人の青年が集まっている。いきなり佛光會の規模に圧倒される。
先ず部屋に通され荷物を置き、受付で手続きを済ませ、大和協會は私一人なので東京協會、大阪協會に合流させて貰った。昼過ぎから、幹部による次回開催国決定会議、開幕式、星雲大師法話{佛光理念}、「仏の光は三千世界を照らし、仏法は五大州に伝わる。物欲、金銭欲等5欲を捨て、報恩感謝の念を持つ人間が世界に広まれば、争いのない素晴らしい世になる。その為には最新メディア媒体を利用し、若年層が自然に仏の教えを受け入れられるよう駆使していく。」との大師のお考えでできた、大師自らの作詞、ナレーション入りイメージソング発表会と慌しく一日が過ぎ、22:30本山での初日が終わった。
 2日目の31日は5:30起床、6:00から早課(朝のお勤め。)
早朝の真っ暗な大雄寶殿(大仏殿)で全員が阿弥陀如来の前でキャンド
ルを翳したスマトラ沖震災祈祷は厳かで神秘的な雰囲気であった。早操(体操)7:00朝食。
その後、佛光山寺組織の説明、心定和尚の講話、國際佛光會の将来像等、認識会議が続き、会議続きの2日目が終わった。その後、自由参加で日程外のカウントダウンが行われ、A HAPPYNEW YEAR!韓国団が踊れば、マレーシアも自国の踊りでお返しする、カナダが大国旗で応援する。世界が一つになった瞬間だった。
 3日目の1日は青年団グループ討論で、青年會を盛り上げる方策、日常活動報告、生前佛教の実践について討議し、夜は各国青年団の佛教を題材にした歌踊りの発表会があり、各国一年懸かりでの成果を存分に披露していた。優勝はマレーシアで、下は小学校低学年からいる総勢40人程の大集団。全員が鳥や動物、花、太陽、阿弥陀様に扮し、老若男女皆仲良く佛陀のもと大合唱する歌と踊りだった。4日目の2日は全体発表、次回開催国発表(トロント)があり、500人の仲間はトロントでの再会を誓い元気良く各国に散っていった。2005年は開山40周年のプレイヤー。2006年はいよいよ記念すべき年、いずれは大和協會でも青年団を発足させ、大集団で一大パフォーマンスを披露したい。慈怡法師、妙耀法師という恵まれた偉大なる指導法師の下、発展にはまずは會員全員で一致協力し、更なる努力の必要を改めて痛感した會議であった。
<佛光世紀2号>

新潟県中越地震義援金お礼

新潟県中越地震の義援金につきまして、寄付をお願いしました読売新聞社より、2004年12月10日に「お礼」と「御預かり証」を頂きました。
<佛光世紀2号>

日本大和協會の顧問に水谷幸正先生が正式に就任


日本大和協会は2004年9 月に発足し、會員の多数は日本人ですので、前京都佛教大学学長の水谷幸正先生を顧問として要請し、正式に就任することになりました。
水谷先生は佛光山とのご縁が三十年以上もあり、慈怡法師留学時代の恩師でもあり、慈怡法師の要請に水谷先生は慈悲深く快諾していただきました。2004年12 月26 日、下仁田の日本大和協會にて12 月の「報恩会」を開催した際、水谷先生は多忙中にも関わらず御臨席頂き、12 月の誕生者に祝福の言葉と貴重な講話を頂きました。
<佛光世紀2号>

2007年7月30日月曜日

佛光山第七任住職晋山式


1985年の9月22日、佛光山開山星雲大師が正式に引退して、住職の座を首座弟子心平和尚に譲りました。佛教の法脈傳承及び住職遴選制度を一つの典範として世に残されました。2005年の1月16日,佛光山は第六任から第七任への住職交替の儀式を盛大に開催されました。心培和尚は臨濟宗第四十九代の法系であり、前心定和尚より法卷、錫杖、香板、衣、缽、具等の法物を渡されまして、佛光山の新任住職になりました。
<佛光世紀2号>

2007年7月4日水曜日

韓国釜山協会1周年法会参加報告【四日目】


  【四日目:10月30日】

帰国の日は飛行機が夕方のため時間があり、午前中は国立慶州博物館に行きました。この博物館では、慶州新羅の文化遺跡を多く展示しており、古代から近代までの歴史的出土品や仏教彫刻、金属工芸品等が展示されていました。また、韓国の代表的な梵鐘である聖徳大王神鐘(一名 エミレーの鐘)も展示されていました。
展示物は約2500 余点にのぼり、博物館の全所蔵品は10 万余点を数える、慶州でも屈指の博物館でした。
釜山市内を一望できる竜頭山公園の釜山タワーにのぼり、釜山港や市街地を眺め、竜頭公園前にて記念撮影をとりました。
また、短い時間でしたが、韓国の勢いと活気みなぎる国際市場に立ち寄り、釜山最大の市場にて衣料品から靴、かばん、眼鏡など、さまざまな品が所狭しと立ち並び、日本の上野にある「アメヤ横町」を連想しました。
最後に、金海国際空港では、弘法寺の深山和尚と金秘書がわざわざ空港までお見送りに来られました。今回の交流会では、到着した日の歓迎と帰国日の心使いと、釜山協会の暖かさを強く感じました。
また、深山和尚より大和協会に弘法寺での子供の修行写真のパネルを頂き、下仁田の道場に掲示しています。
<佛光世紀 1号>

韓国釜山協会1周年法会参加報告【三日目】


  【三日目:10月29日】

釜山協会1周年法会参加を終え、三日目は新羅千年の歴史的な国宝遺跡である慶州の「石窟庵」と「仏国寺」を参詣してきました。吐含山石窟庵の山門前にて記念撮影。この山門から奥の石窟庵までの参道を秋の陽ざしを受けながら、ゆっくりと景色を満喫しながら歩きました。
石窟庵では、慈怡法師と妙耀法師が「石窟庵」の中に入られ、内部の「石窟庵本尊仏 釈迦如来座像」を直接参拝し鑑賞されました。標高の高い石窟庵より下に位置する「仏国寺」にバスにて移動し、仏国寺山門前で記念撮影しました。仏国寺は今から約1500 年前に創建され、華厳仏国寺または法流寺と呼ばれ、仏国とは「全てが完全に備わった安楽と清潔な国になる願いが込められた意味」。
今回の1周年法会参加に際し、弘法寺が所有するバスにて送迎から慶州のお寺参拝等と、大変お世話になりました。韓国交流会の最後の夜は、弘法寺の深山和尚による韓国の精進料理をごちそう頂き、夕食後は海雲台の浜辺にて夜景と花火にて韓国の最後の夜をゆっくりと満喫出来ました。
<佛光世紀 1号>

韓国釜山協会1周年法会参加報告【二日目】


  【二日目:10月28日】

ホテルよりバスにて弘法寺に向かいました。弘法寺は農園や菜園であった約15,000 坪の土地であり、倉庫を改造した仮本堂にての布教活動を行っています。
本格的な寺院は行政のグリーンベルト(緑地確保)の規制等の申請協議を行っており、将来的には30階建の高層ビルを敷地中央に建立し、周囲を庭園にしたいとの構想が深山和尚よりありました。一周年法会に先立ち、本山の心定和尚並びに伊香保佛光縁の慈怡法師が参加に際しての記念記帳を行いました。弘法寺では、深山和尚の案内にて心定和尚と日本大和協会参加者が邸内を散策しました。
一周年法会当日は天候に恵まれ、日差しも強く参加者の大半は頭にタオルなどの日光と暑さ対策をしていました。後で、日本の扇子に似た組み立て式の日除帽子が配られ、大変重宝しました。また、会長が釜山協会に寄附した「桜の苗木千本」の発表では、会場内より盛大な拍手と歓迎を受けました。
さらに、弘法寺の土地と寄付金を提供しました夏道女史(82 才)が紹介され、心定和尚より感謝の言葉と記念品等が授与されました。
釜山協会1周年法会は、心定和尚を中心に弘法寺の深山法師や伊香保佛光縁の慈怡法師、日本大和協会関係者並びに釜山協会員の参加により、盛大な式典となりました。
今回の1周年法会の参加では、日本大和協会として夕方より開催される歓迎音楽会に、佛教の歌「願將衆生度」を手話にて披露する一大イベントがありました。参加者全員の方が手話は初めてであり、韓国に着いても時間があればバスの中や駐車場で練習をしていました。
大変な緊張の中での手話による佛教の歌は、会場より大変な歓迎を受け、アンコールのエールに日本の代表的な歌である「さくら さくら」を合唱し、会場内の雰囲気が歓喜に包まれました。夕方の音楽会は昼の暑さに比べ厳しい寒さとなりましたが、寒さを忘れるほどの感動と参加者全員の緊張感が感激に変った貴重な時間でした。
<佛光世紀 1号>

韓国釜山協会1周年法会参加報告【第一日目】


国際佛光会の「韓国釜山協会1周年法会」に日本大和協会が招待されまして、平成16年10月27日~30日の3泊4日の行程にて参加しました。参加者は群馬県伊香保佛光縁より慈怡法師と妙耀法師の参加を得まして、会長、副会長、及び大和協会関係役員による総勢11名の参加でした。

  【第一日目:10月27日】

出発は成田空港より大韓航空にて一路釜山に向かい、釜山の金海国際空港にはPM16:25に着きました。金海国際空港では釜山協会の会員による盛大な出迎えがありました。
空港からは、釜山協会が所有するバスにて宿泊先の農心ホテルに向かいました。今回の釜山協会との交流研修では、文女史が通訳兼案内人として4日間同行して頂きました。
農心ホテルでは「大韓佛教 曹渓宗 弘法寺 開院一周年記念」として、佛光山寺の心定和尚を招待しての歓迎晩餐会が盛大に開催されました。余興では、日本大和協会として日本の唱歌「さくら さくら」を披露し、盛大な拍手を頂きました。
また、会長夫人は日本の伝統である和服での参加がひときわ目立ち、韓国の伝統衣装のチョゴリと国際性豊かな歓迎会式典となりました。今回の一周年記念事業のお祝いとして、会長より桜の苗木「1000 本」を寄附することを発表し、会場から盛大な拍手と歓声が上がりました。また、心定和尚を囲んで、深山和尚、慈怡法師、会長、釜山市長他が記念ケーキに入刀をしました。
<佛光世紀 1号>

2007年7月3日火曜日

國際佛光會日本大和協會の誕生


群馬布教所に於いて慈怡法師、菊地会長の元で開催され、規約、人事、今後の活動予定等について発表されいよいよ動き始めました。
<佛光世紀 1号>

国際佛光會日本大和協會の承認


2004年9月初めに國際佛光會世界総会(第十次会員代表大会)が、台湾の総本山で開催され我々日本人が参加する機会が出来ました。その折、星雲大師より國際佛光會日本大和協會の設立が承認され代表として、菊地氏が理事長、会長として選任されました。
<佛光世紀 1号>