2007年9月18日火曜日

世界環境デーの奉仕活動~伊香保本山周辺のゴミ拾い~


「伊香保本山周辺のゴミ拾いに参加して」

二〇〇七年六月五日、世界環境デーに合わせて、朝七時から県立青年いこいの森、駐車場に三十名集合して、大和協会会長、慈怡法師の挨拶と指示のもとにいざ出陣。
装備は万全、両手には軍手、左手に土納袋、右手にはゴミ取り用はさみを持ち本山工事現場前まで到着。
「あれ、おかしいぞ?」
思ったほどゴミが少ない。廻りの人の袋を見ても少ししか入っていない。ゴミを探しながら水沢観音寺駐車場に到着、折返し本山工事現場のゴミ集積 場に納めて、仏様に礼拝致しました。
 仏様も心なしかほほ笑んでるような気が致しました。会長婦人の手作りの弁当を美味しく頂き解散致しました。
ゴミの少ないのは通行する人々のマナーの高上なのか?喜ばしい事だと思いました。
<佛光世紀10号>

2007年9月14日金曜日

「第1支部活動報告」


 この度、大和協会のメンバーである企業様には貴重なお時間を頂き有難うございました。今回、日本大和協会の支部活動の第一回目とあり、不安があったのですが、おかげさまで盛大に行えました。
 今回はまだ佛光山に対して何もご存知でない会員の方々が多いので布教活動が主な活動でした。内容は慈怡法師様よりお話を頂き、佛光山とはどういった宗教団体かというお話と、健康に関して腹式呼吸の方法など盛り沢山の内容でした。
 聞いていただいた皆様がなんでもいいのですが、何かを感じてくれれば、何か参考になれば、やったかいがあったのではと思っています。まだまだ佛光山は日本では始まったばかりで長い年月と地道な布教活動が必要です。これからもよろしくお願いします。
<佛光世紀10号>

日本大和協会「第一回分会」を開催して・・・


 平成19年7月23日大和協会の第一回分会主催による会活動が行われた。
 主題は、仏教と健康及び禅行について。法師は慈怡様である。場所は大和協会のメンバーである企業様の会議室にて、40名ほどの方々に参加していただき盛況の内に開催いたしました。今回の主題はシンプルであるが奥の深い題材である。
 当日、慈怡法師は佛光山の説明、星雲大師の人となり、又群馬佛光山寺の設立経緯など話されました。仏教と健康ではいかに心と精神そして肉体のバランスが人間にとって重要であるか。わかり易く丁重にお話を頂きました。
 このバランスが崩れることは、イライラ、不安、憂鬱など心の安定を欠くことになります。昔の人の言葉に「病は気から」というのは、このことではないかと思います。すなわち健全な心には健全な肉体が宿り、説法で法師が言われた「正気」とは、この「気」のことでないかと思います。この人間の「気」を充実させるのは座禅がもっとも効果のある行ではないかと感じており、今後も座禅などを通じ自身もこの「正気」を大事にしていければと思います。私自身も「禅」と「気」について、勉強していきたいと思う。
今回の第一回分会活動は慣れないこともあり、皆様には不便をおかけしました。開催にご協力頂いた企業の社長様に厚く御礼申し上げます。
慈怡法師様、又ご苦労をかけました大和協会の皆様方、ありがとうございました。
合掌
<佛光世紀10号>

2007年9月12日水曜日

チベット(西蔵)佛教の聖地を訪ねて


チベットは、古く中国では 吐蕃(トウポー)と呼ばれ 標高3,000mを越え 11月から4月までの期間は積雪となる厳しい自然に支配される地域です。其の為、外部からの侵略を許すことのない地理的条件を備えていました。
そして、チベット佛教は土着の宗教と融合して独自の発展を遂げていきます。そのチベット佛教は7世紀頃に始まりますが、11世紀頃にインドで起きた後期蜜教タントラの影響を強く受けて定着しました。
蜜教伝統 佛と共に生きる人々…西蔵
 西蔵(中国占領化にあるチベット)第一の都市が「拉薩」であります。
ここには、ダライラマ5世が創建した布達拉宮があります。チベット佛教ラマ教の聖地として各地から敬虔な信者の参詣の絶えない寺院でもあります。この国の人々は、一生に一度は 自らの住む地から 三歩一礼の五体投地の礼拝をしながら この地に何年も掛けて来ることを 一生の事業としている人々なのです。その生活は質素で 仕事で得たお金は故郷から布達拉宮までの生活資金と帰郷する為の資金で、その資金を除き残ったお金はすべてお寺に供養するそうです。供養する為にまた働く、正に毎日が佛に成るための修行そのものと思います。
 佛と共に生きる人々・・・ 佛の世界を垣間見た思いがしました。
<佛光世紀9号>
 

なぜ仏さまを拝むのですか


 仏さまにお詣りする時、どう祈りますか。「どうか、願いがかなえられますように」、「どうか、お助け下さい」、「おかげ様で思うとおりになりありがとうございました」など、自分の願い事やお礼を言って仏さまに掌を合わせることが多いのではないですか。
それでは、何故お祈りをするのでしょう。仏さまは自分より“大きな力”を持っておられるので、その力を発揮していただこうと期待し、すがるわけです。そのときは自分の力を過信する心はなく、自分よりももっと“大いなる力”があることを認めて、それにすがるという心です。大いなる力を念ずるとき、自分は謙虚になっています。
 人間は何でもできると考えるのは思い上がりです。人間が生きていくのに必要な空気や家、洋服でも、何一つ自分の力で作り出したものはありません。
今、自分が生きていること自体が全てのものに支えられて生かさせてもらっているのです。また、親子、兄弟、友人、近所、会社等等、自分が関係している人との輪を広げてゆくと、まさに網の目のような関わりの上に自分が置かれていることに気がつきます。
みんなのおかげで生かさせてもらっているのだと気付いた時、心から感謝せずにはおられません。
この私をとりまく“大きな力の動き”を「仏さまのいのち」といいます。この仏さまへの感謝の気持ちが、仏さまを拝む心です。
仏さまに祈る心は「私も一生懸命に努力しますから、どうかお力を貸してください」という祈りでなければなりません。何ひとつ努力しないで仏さまにお願いしても、それはかなえてくれません。仏さまは、あくまでも私たちがしていることの“後押し”をしてくださるのです。
仏さまが力を貸してくだ
さるときは、それによって皆の幸せに役立つことにつながり、或いは本当に仏さまのことを信ずる心が更に深くなるときに手をさしのべてくださいます。
それも仏さまが直接ではなく、むしろ、あなたの周りや人や物を通して、そっと手助けをしてくださるのです。ですから、あなたが一生懸命努力しているとき、思いがけないような人が助けてくださったり、事がスムーズに運んだりしたときは、きっと仏さまがお力を貸してくださったのです。
もし、そのとき、すべて自分の力でできたことだと思ったならば、仏さまはもっと悲しい目であなたをみられることでしょう。
楽しいことも、悲しいことも、すべて「おかげさまで」と、心から素直に受け取れるとき、仏さまはにっこりとうなずいてくださいます。仏さまはいつも私たちを見守ってくださっています。    釈 覚勝
<佛光世紀9号>

「 お釈迦様生誕法會に参加して… 」


平成19年4月8日の報恩會はお釈迦様の誕生日「花祭り」である。多くの会員の方々が集まり開催された。4月8日がお釈迦様生誕の日であり仏教徒である我々にとっては西洋のクリスマスより大切な日でもある。聞いたところによると、もともとこの「花祭り」はインドや中国でも古くから行われている行事です。 
日本では推古天皇の奈良の元興寺で初めて行われたとの記録があります。この日は、お釈迦様の誕生を祝い、きれいな花で飾られた小さなお堂(花御堂)の中に、赤ちゃん姿のお釈迦様の像(誕生仏)を祀り、お釈迦様の頭からひしゃくで甘茶を注いでお参りし、お釈迦様の知恵と慈悲の教えを信じてゆくことを誓う日なのです。
また、子供がすくすく育つことを祈る日でもあります。お釈迦様は生まれると、直ぐ七歩ほど歩み、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊」と宣言されたそうです。
 「花祭り」当日、慈怡法師の指導の元、全員で「花御堂」にお参りさせていただき、会員の方々、法師様、そして星雲大師様のご健康を祈らせていただきました。とてもかわいいお釈迦様の姿でした。会員の方の中には甘茶をかける際、緊張でひしゃくがお釈迦様の頭に当たりあわてた方もいたようです。お釈迦様は一瞬驚いた様子でしたが、笑顔を絶やすことなく平然とされていました。
昼食後、慈怡法師の提案でクイズなども行われ終始楽しく和やかに過ごさせていただきました。私もこの「花祭り」という行事は2度目の経験なのですが、慈怡法師よりいろいろお話を聞いているうち、お釈迦様の存在、そして「天上天下唯我独尊」の意味なども少し深く考えるきっかけに出来ればと思っております。
楽しく充実した一日を過ごさせて頂きました。昼食を用意していただいた方々、会長、法師の皆様、全大和協会会員の皆様方、このご縁に感謝申し上げます。ありがとうございます。
<佛光世紀9号>

2007年9月11日火曜日

《佛光之子広場》

この度、日本大和協會として「佛光如来之子」基金に初年度の取組みとして10名の育英基金を國際佛光會に寄付いたしました。この取組みは、ブラジルの両親もなく、毎回の食事もままならない恵まれない子供を支援しようというもので、2004年からカナダトロント協會が発起人となり、2006年、高雄本山での會員代表大會で、國際佛光會として支援が正式決定いたしました。この決定を元に、早速日本大和協會でも理事會に図り、支援する事と致しました。
ブラジル以外にも世界中には恵まれない子供が多くおります。少しでもこれら子供たちの足しになり、将来、教養を身につけ、大きく羽ばたいて頂けたら、明るい平和な世の中になることを願っています。
将来、「佛光之子」基金から多くの優れた人材が巣立ち、世界平和に貢献できる事を願って、これからも毎年少しずつ援助金を拡大していきたいと會員一同考えています。
<佛光世紀8号>

2007年9月10日月曜日

【 會 員 の 広 場 】

日本大和協會も新しい會員が増えており、新たに大和協會の幹部として理事に就任された方の声を掲載しました。

「理事就任にあたって」

この度、理事に就任させて頂き私で勤まるのかと始めは不安でしたが、今はどうやればこの佛光會が日本で広まるのかと前にも増して考えています。是非とも皆様と共に日本大和協會を発展していく為に努力していくつもりです。
私はサラリーマンですが、今の世の中、スピード化により一人がこなす仕事量が増え時間に追われています。また、企業が倫理、コンプライアンス違反により、あっという間におかしくなるのに伴い、社員への管理が非常に厳しくなっています。更に競争化が進み、勝ち組み、負け組みの差が大きく開き、いざなぎ景気がつづくというニュースの影で倒産が続いています。
毎日殺伐とした中で過ごし、感情を持つ事に疲れを感じます。そうやっている間に、あっという間に一年が過ぎ、5年が過ぎ何かそのまま一生が過ぎてしまいそうなという気持ちを持たれた事は皆様もあるのではないでしょうか。皆様とこの佛光山とのきっかけは色々あると思いますが、是非、受身でなく、積極的に参加いただけないでしょうか?せっかくだから勿体無いでしょう。どういう形でも結構だと思います。二ヶ月に1 回、送付いたします會報を見るという事でも構わないと思います。まずは自分を見つめなおす時間ができる事がスタートです。


「理事就任にあたって」

この度、理事会の皆様の仲間入りをさせて頂く事となりました。会員の皆様、どうぞ宜しくお願い致します。
私は、仕事で知り合ったお客様からいろいろな学びを得ましたが、そのお客様の社長は、面
接の時に「あなたは親を大事にしていますか?」と、必ず聞くそうです。親を大事にしない・出来ない人は入社をお断りするとの事でした。私も同感で、親があり私たちがいて、そして子供達があるのだなと改めてそのことを実感し・共感しました。
それは、佛光會の教えにも通ずるのではないかと思います。
そのような精神で、新人ではありますが皆様の足手まといにならないよう、勤めていこうと考えております。どうぞ、ご協力をお願い致します。
<佛光世紀8号>

「佛学と医学」


2007年3月3日群馬県森林学習センター(憩いの森)にて、台湾から先生をお招きして「佛学と医学」の人生講座を行いました。
先生は、台湾を代表する鍼灸の女性医師の一人であり、国際佛光會壇教師として佛教と医学に長年携わってきた経験より、「佛学と医学」としいう題目にて講演をして頂きました。また、佛学と医学の関係を冊子にした本を参加者全員に配り、東京協會の會長を歴任した方の通訳にて人生講座を行いました。
人生講座「佛学と医学」には100名を超える参加者が会場となった群馬県森林学習センターに集いました。先生の講演では、中国語による講演内容を的確な通訳により、参加者への講演内容の意味等が的確に伝わりました。また、慈怡法師の黒板を利用した漢字による文字表現も併せることにより、先生の「佛学と医学」の密接なる関係を知ることができました。
先生は10日間ほど日本に滞在され、講演や健康相談等をして頂きました。特に、健康に関しては何処の国の方でも関心があり、西洋医学と異なる東洋医学の「気功」を重視した考え方に基づく話は、健康不安に対して西洋的な薬だけに頼らない方法や考え方について、佛光山寺が提唱する「人間佛教」の考え方と東洋医学の「気功」の関係を、多くの方が関心を持って聞いていました。
さらに2007年3月4日と11日には、大和協會が開催する報恩会や教修禅等の行事にも先生のご臨席を賜り、3日の講演に参加できなかった會員の方にも、「佛学と医学」についての講義や個別健康相談をして頂きました。先生には大変忙しいスケジュールのなか、大変貴重なお話や健康相談をして頂き、この紙面にて大和協會々員を代表してお礼と感謝の言葉を述べさせて頂きます。
<佛光世紀8号>

2007年9月5日水曜日

【群馬佛光山寺安全祈願祭】感想報告


大寒の2007年1月20日(土)群馬佛光山寺安全祈願祭が伊香保の予定地で厳かに挙行された。寒風吹き荒ぶなか、300 名を越える招待者、関係者が列席し、会場は人で溢れ寒さも感じさせないほどであった。
慧寛法師の先導で式は荘厳に、時には華やかに滞りなく挙行され、式がクライマックスを迎える頃には雲ひとつ無い快晴になっていた。
祭壇の奥上方には水澤山が鎮座し、そこに立っているだけで不思議と心が和み、言葉では言い表せない何者かに守られている感じがする。伊香保の地が如何にも厳選された地であることが伺われる。
群馬佛光山寺が最終的にどの様な様相になるのか今から楽しみでならない。併せて工事の無事故無災害を祈念する。
<佛光世紀8号>

【群馬佛光山寺安全祈願祭】


2007 年1月20 日11:00 より渋川市伊香保の建設予定地にて厳かに安全祈願祭が行われました。当日は曇り気味の天候でしたが、式典の進行とともに雲の隙間から光り輝く陽が佛様や安全祈願塔に降り注ぎ、感動的な式典となりました。
式典に際しては事前準備を行い、前日のリハーサルでは1月の厳冬のなか、慧寛法師、慈怡法師、日本大和協会会長等によるきめ細かいご指導を頂き、安全祈願祭を無事に成功することができました。式典祭壇の佛様他は、下仁田道場に安置されている佛様を会長ご好意により一時的に安置して頂きました。
式典会場では、霊山「水沢山」を背景に佛様と安全祈願塔を配置し、両側に招待者や功徳主、国際佛光會會員等の席を200席用意しました。式典開催時間が迫るにつれ参加者が増え、最終的には「300人を超す安全祈願祭」となりました。
式典開始の法鼓とともに佛光山寺の慧寛法師のご臨席を賜り、「上香 爐香讃」「南無大悲観世音菩薩(三唱)」「白水文」「大悲咒」と儀式は進み、慧寛法師による法話では、「日本語と中国語」の両方を法師自らが行われたことに、参加者から感激の声が出ていました。
安全祈願祭のクライマックスである「鍬入れの儀」では、主催者、招待者、功徳主、施工会社等が祭壇前の砂壇に並び、慧寛法師が次の三つを唱えて鍬入れを三度行いました。

一つは、工事の安全を
二つは、参加者の健康と安全を
三つは、世界平和を祈願して
「佛光山寺の願いを祈願」

招待者として地元渋川市長を初め多くの幹部や地元名士が参加されました。来賓代表として渋川市長よりご挨拶を頂きました。
お話のなかでは、渋川市としてもこのような大規模な寺院建設は初めてであり、今後も佛光山寺と協議しながら、渋川市としてもよりよいものを造って頂きたいとのお話がありました。
式典も最終段階に入り、鍬入れした砂壇に参加者全員による献花を行い、砂壇一杯に飾られた献花と整然と並んだ鍬が印象的であり工事が安全に終わることを参加者全員にて祈願しました。
<佛光世紀8号>

2007年8月31日金曜日

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「お経の音律でニヤリ」

一年半前の桜が満開の四月に星雲大師と慈怡法師に初めてお会いしたのもこの本栖寺でした。日本大和協會が発足して一年余、会員お揃いの大和協会法被姿、朝のお経も黒の法衣姿での行列参加、大和協會も少しずつ佛光山寺の会員として育っていると感じました。禅堂の雰囲気に荘厳さを感じ、なにがしらかの緊張感を感じるのは不思議と心地よいものでした。一段高い位置で、目線、呼吸、姿勢を気にしていると、指導法師より吸う息と吐く息は---?息は----?独り言の言葉は法師の禅問答かと勝手に思っていたら、後で意識を集中する一つの方法とのこと。普段の生活の中では意識が散漫しており、座禅にてその意識を集中する修練を普段の生活に少し取り入れることにより、普段気がつかない事を感じる事ができるようになります!との一言に、忘れていたものを思い出した気がしました。
写経も普段できない事のひとつです。最初はただただ早く写す事に集中していましたが、ふと字を見ていると、毎週下仁田での共修会に読経するお経の教本に出てくる字が多いことに気づき、ふとお経の音律が頭の中に浮かび、思わず内心「にやり」としました。毎週の共修会参加の結果であり、続けることの大きさを感じました。座禅も写経も普段の生活には縁遠いものでしたが、佛光山寺との「縁」により普段の生活にも徐々に浸透している自分に驚いています。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「頭がすっきり」

本栖寺へ行くのは今回で2回目です。前回は昨年の星雲大師様が来日された時ですので一年半ぶりです。富士山近くの国立公園内の本栖寺は空気の密度の濃い特別な空間の様な気がした。
坐禅會に入り呼吸を整える。1,2,3、・・雑念が入る・・仕事の問題・・何故坐禅をしているのか?坐禅とは何だろうか・・色即是空と素粒子物理は・・宗教と哲学は・・窓の外の風が紅くなった葉を揺らす。睡魔が襲う・・・。
坐禅止めの合図で我に返る。ほっとしたのと何故か頭がすっきりした気持ちになりました。和気合い合いとした座談会。美味しい食事。身も心もリフレッシュしてまた明日から頑張るぞという気持ちになりました。


「座禅は忍耐」

本栖寺に到着すると、法師が暖かく出迎えて頂き早速館内を隅々丁寧に案内して頂いた。夕刻15時30分から坐禅を行ったが、富士山麓の森林の澄んだ冷たい冷気が頬を伝い、フィトンチットが充満しているのを感じる。
普段協會で行っている座禅會とは一味も二味も違う雰囲気である。坐禅は承知の如く両足を組み瞑想に耽る。当初、これが出来なかった。私にとって坐禅とは悟りの境地どころか「忍耐」そのものであったのだ。片足の甲を何とか乗せると、体勢が斜めになり、倒れるのを維持するのに背筋が曲がる、暫くして震えがくる。三重苦である。最近ようやく身体も少し慣れ、何とか坐禅モドキ?を組めるようになった。(その日以来、毎朝5時に簡単な柔軟体操、坐禅を心がけている。)
先ず呼吸法から始まり、吸うのが先か吐くのが先か、空気は冷たいか、それとも暖かいか?何気なく繰り返している呼吸にこれほど注意を払ったことが無かった。次第に雑念が消え、身体の力がすうっと抜けていく。調身、調息、調心が初めて整ったかなぁと何となく思えた。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「無常とは?」
座禅中は頭を空にしてと、思うのですがなかなか長時間は難しくほんのひと時そんな時を感じられるだけでした。座禅をすることで頭を空にしてなにも考えないでリラックスさせることが次への活力になるのではないかと思い始めて座禅への意識が高まったように思います。これも佛光山とご縁がいただけたからです。帰る時に、今日はあいにくの雨になってしまいました。と話したところ、「これは無常というものです。いつも同じではありません。ここにある自動車もいつまでも新しくはないし錆びたり壊れたりします。でも、無常とは、悪いことではありません」と、お話になりました。無常とは悲しいものと思っておりました。しかし、無常とは、悪い事ではありませんとのお話で、あっそうか、悪いこと、悲しいことも無常なのだと気づかされ、無常だからこそ前向きになれ希望も持てるのだと。良いときは浮かれていないで、また悪いときもくよくよしないで、世の中無常なのだからと思い生活しなくてはいけないのだなと思いました。


「雑念のありよう!」

今回は短い二日間の座禅会でしたが、私にとっては随分とためになりました。妙崇法師の指導のもと、静謐な禅堂で座禅を行いましたが、法師様が鼻先に意識を集中する事とか、息の暖かさ、出し入れなどのお言葉を聞いているうちに、身体の位置も定まり、自然と座す事ができました。慈怡法師に以前に教えて頂いた数息観を試みてある程度雑念を払い、安寧な気分の状態を維持することができました。最初の座禅が終わってくつろいでいるとき、法師様が息を見ることとおっしゃってくだされたのが強く印象に残りました。喫茶座談会で慈怡法師から、せっかくの良い機会なので、身と心を一つにして会に臨むようにと指導され、なるほど雑念のありようとはそうしたものかと改めて思い知りました。また、座禅をすることで雑念があることを認識する事は良いことだともいわれ、物事の真の姿を捉えるために雑念を振り払い、安らかな状態になるための行いなのだと認識しました。二度の写経、早朝からの湖面に映る紅葉の中での自転車散策、いつもよりがんばっている自分を見ました。これも本栖寺の法師様をはじめ皆様の暖かいおもてなしのおかげと感謝しております。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「坐禅は心の洗濯」

この度、縁あって一泊坐禅の機会を得、本栖寺禅堂に入堂し妙崇法師の指導のもと坐禅を始める。
坐禅は『調身・調息・調心』が重要で、姿勢を調え、呼吸を調えてはじめて坐禅に向かう心が調うといわれている。
特に臨済宗の坐禅では呼吸法が大切で、慈怡法師がよく言われる『数息観』の事である。『ひとーつ、ふたーつ』と心で数えながら細く長い息で腹式呼吸をし、十まで数えたら、また一から繰り返す。一呼吸するだけで身体から汗が吹き出て来る様な坐禅が組めればしめたものだが、しばらくすると次第に足も痛くなり、数を数えることもままならない。
『以心伝心』といわれるが、どうすればそんな大きな心を伝えることができるのか。花を見て美しいと思い、月を観て心が清々しくなる。それが心であり、自分の内実であり、すべての人の人生であると思います。終了のリンが鳴り、ふと窓の外に目をやると、木立が風に揺られ、生命の息吹を感じた時、『坐禅は心の洗濯である』という心境になっていました。


「パワーを頂いた!」

本栖寺で最初の座禅は脚が痛く早く終わりの時間にならないか、そればかり気になり、集中できませんでした。座禅を指導してくださった法師様に普通は50分すると聞いて、明日は他の人に迷惑をかけないよう出来るだろうか心配になりました。
夕食後に写経をしようと誘われ、昼間案内された所で写経していると他の人も何人かいるのに実に静かで写経に集中できました。実際には意味が解らず、ただひたすら漢字をなぞるだけでした。朝のお勤め、庭掃除、前日心配した座禅も長く感じないで、朝からすっきりした気持ちでした、豊かな自然,きれいな空気、本栖寺で無心になろうと心掛けたせいかわかりませんが頭もスッキリ、体もパワ-を頂いたような気がしました。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「禁煙に成功!」

私にとって、生まれて初めての座禅でしたので、参加前は緊張と不安でいっぱいでしたが、初日は20 分、2 日目40 分、どうにか足の痺れにも耐え、座禅をまっとうすることができました。
私自身、この機会を精神修行と自らを勤しめ、禁煙にもチャレンジし、本栖湖畔の美しい景色と法師の方々の温かいご指導、美味しい食事を満喫しているうちに、禁煙の苦しさもやわらぎ、断煙にも成功しました。こういった素晴らしい機会を与えて頂いた佛光山の皆様に心よりお礼申し上げます。


「座禅は短い?」

私は座禅については、すでに下仁田の道場で何度か経験させて頂いております。開始前、法師より心得など説明があり、鼻先に意識を集中し、呼吸の冷たい暖かいを感じてください。今までそのような感覚を持ったことがありませんでしたので、少し驚きました。この感覚で座禅をしていましたら30 分が、なんと短く感じられました。この時間的感覚が薄れることが「無」の境地なのかなどと考えてみました。今までとは違う感覚でした。座談会では、各人の方の自己紹介があり、仏教に対する思いや考えなど話されていました。
印象に残ったのは、慈怡法師様が一人一人の話されていることをメモしておられ、最後にまとめの話をされた時、一人の名前と話した内容を的確に言われたのを覚えております。記憶力もさることながら、一人の方に対する思いとか、優しさ、気配りは本当にすばらしいとあらためて感じ、法師様の心の原点を見た気が致しました。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「何故ここに?」

道すがら「ここから見た富士山が千円札の裏側の富士山だ」紅葉が美しい。1回目の座禅は、ただただ睡魔に襲われ、我に返ると足が痛く時間を気にすることだけでしたが、2回目にはやや我を取り戻し、「止静」の世界を少し覗いたような気がした。そこで、思った。私は、今、何故、ここに居るのであろうか?最近のこと、身近に叔父の終焉をみて、父母との別れとは別の感情をもって、冷静に人の一生を見て思った。わが人生はこれで良いのであろうか?別の心をもって自分を見る必要があるのではないか!私は、そのような機会を佛光山の教えや座禅に求め、そして、自分を見つめ直す一つの節目と考えたい。このために、私は、今、ここに居ます。


「無の世界に入る」

2005年10月28日心配していた天候も良く、交通渋滞もなく予定通り現地に到着することが出来ました。
星雲大師の銅像のお迎えを受けて華厳宝殿の中の素晴らしさに圧倒されつつ外へ出てみると、実に廻りの景観に溶け込んだ建物の中に雄大なお釈迦様が居らっしゃるとは思いませんでした。
座禅会では外部からの物音一つせず、時間を忘れて無の世界に入る事が出来ました。食事の方も日本人向けにお気遣い頂いたように思いました。とても美味しく頂きました。そして、小鳥のさえずりを聞きながら自転車で本栖湖の廻りを散策し、空気はこんなにおいしいものかと実感致しました。
<佛光世紀7号>

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「功徳の大切さ」

私は生まれながらに厳しい家庭環境にありましたので、その時々の環境に併せて、ただひたすら全身全霊で商売に励んで今日に至っており、縁がありまして臨済宗佛光會を知りました。
達磨大師の48 代目星雲大師の法話を直接拝聴してから、その深い慈愛と真心のこもった説法に感動し、一在家信者として最善を尽くそうと決意いたしました。
宝輪堂において慈怡法師様の喫茶座談会があり、その、きつりつとした法話の中で、功徳の大切さを教えて頂きました。
①放下について:その時点において全身全霊で心身一体となって、そのことだけに集中すること。私には、一番身にしみるお言葉です。心したいと思います。
②提起について:放下の後、その想いを残して忘れず次の用の時に使えるようにすること。私のような商人には、大切な心構えとなります。口下手で表現ができない。しかし、心で感じている現象がある。それも、功徳との言葉に、私も心から納得し、即、実行しようと思いました。

「自分を誉めた」

久しぶりの本栖寺訪問であった。初訪問は座禅会、2度目は研修会、3度目の今回は座禅会で、座禅は2回目ですので、入山前の心構えとして、「自主的に座禅(心境)を実行し理解しよう!」の考えで臨んだ。夕食後、喫茶座談会が実施され、会長を始め、会員の皆様方から短いスピーチであったが、貴重なお話を聞けたことは今後の参考となった。又、慈怡法師の説法は日常生活上に起きている事例をあげて、精神面の判断又工夫で心の充実さが生まれる法話でした。朝のお勤めは、今までの共修会の成果があり自然と溶け込めた。朝食後、写真を撮りに庭に出たところ、法師様と何人かの会員が落葉収集掃除をしていたので、自主的判断で参加!結果的に、自分を誉めた一瞬であった!私達の作業を見て、多くの会員が箒を持って参加して下さったことも嬉しかった。
<佛光世紀7号>

2007年8月30日木曜日

「日本大和協会・伊勢崎法縁の會」報告


2005年9月11日、伊勢崎市民プラザ第二研修室において、慈怡法師、妙耀法師、会長夫妻をお迎えして「伊勢崎法縁の會」を開催いたしました。当日は、百余名の会員が参集し、盛大な中無事閉会となりました。まず、発表に先立ち、会長より日本大和協會の創立の経過報告、佛光山寺並びに国際佛光會の沿革を詳細にご説明頂きました。次に、慈怡法師が「般若の人生」を中心とする法話を、大変解り易くご講演頂きました。皆熱心に聞き入り、数名の方がメモを取っていたのがとても印象的でした。佛光山寺の教えは、まず自らの生活において十善戒を守り、六波羅蜜の徳を実践して行くという素晴らしい佛教であります。私達は、この法縁によって出会えたことに感謝し、深く心を問うべきではないでしょうか。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「初めての台湾」

「台湾に行ってもらいます」突然の知らせにとまどいながらも、一口返事で承知した。「台湾とはどのような所?」「宗教とは、仏教とはどのようなものか」「バシー海峡に近づくことができるのか」以上の三つの理由と期待を持って行きました。
 1.台湾とはどのような所であろうか:一般情勢や民情、生活や交通事情、街の様子などを事細かく記載されていました。
 2.宗教とは、仏教とはどのようなものであろうか:佛光山寺到着して驚いた。日本のお寺とは全く雰囲気が違うのです。寺のスケールや多くの人が集まり、教育機関の学校を併設していることです。また、子供たちの態度も身なりもきちんとしており、仏教を通してきちんと教育されていることがわかりました。本山での行事を、星雲大師自らが仕切っていたのには驚きました。他人に任せず、自ら行う姿勢に、これなら信者も、きっとついてきてくれるはずだと思いました。
さて、何故にこんなにも多くの人があつまるのであろうか。宗教とは、佛教とは、どのようなものであろうか。凡人の私には、到底、判るはずが有りません。ただ、一人静かに祈るといった、そんな心の拠り所なのかもしれないと思ったものでした。
 3.バシー海峡に近づくことができるのか:先の戦争において私の長兄がバシー海峡において戦死しました。戦争はいけません。勝っても、負けても、悲しみだけが残るだけです。
台湾は初めてでしたが、台湾の豊かな自然や国民を支えているのは仏教による「こころ」と感じました。大きな施設、整備された組織、立派な指導者により、一貫した教育が行われているのです。日本大和協会に入会して、今後も皆様と一緒に精進に努めます。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「佛光山寺に脈々と流れ伝えられる宗教観」

今回は、本山を後にして台南、台中、台北へのバスの旅がとても印象的でした。本山の華やかさとは異なり、佛光山寺のありのままを拝見することができました。寺院に従事する僧侶や尼僧さん、信者の方々の暖かい出迎えなど、国や言葉を超えた佛教という一つの信仰のもとに「お経」を唱えることにより、何かしらの一体感を感じたのは私だけでしょうか?
言葉少なく、オミトウホウ(阿弥陀佛)と微笑むだけで通じる世界、この考えが、大師が唱えられる「世界平和」の一つの実践なんだと。今回の旅は、地方のお寺を訪問させていただくことにより、佛光山寺に脈々と流れ、伝えられている宗教観を感じることができました。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「心の豊かさの大切さ」

台湾へは3度めの旅となりましたが、3回目ということもあり、なんだかとても懐かしいような気分ににりました。
今回も二日目の朝、本山地下にそれは壮大な極楽浄土までの道筋を描いた場所の見学をさせていただきました。それにしても、スケールの大きさにはびっくりしました。たくさんの電飾やわかりやすいレリーフ等で、老若男女が誰にでもわかりやすく表現されていました。3回行ってもまだ、本山を全て廻りきらないのですから、その広さには恐れ入りました。日本ももっと、心の教育に力を入れるべきだとつくづく感じました。心の温かさや優しさがあってこそ、本当の技術や知識も生かせるのではと思います。私もついつい、EQの高さより、IQの高さのほうに目が向きがちですが、両方のバランスがとれてこそ人間のバランスもとれるのでしょうね。佛光山南華学館では、のびのびとした明るい感じで、心の豊かさを感じさせるものばかりでした。
今回は心の豊かさの大切さを改めて認識させられる充実した旅でした。お世話になったかたがたに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「極楽浄土は各自の心の内にある」

佛光山本山を訪問される世界各国からの参加者の多さに驚きました。その大勢の人々の宿泊や食事、移動等も混乱もなく行われ、法師の方々の綿密な計画と迅速な行動や心のこもった接待を目の当たりにして、まとまった一つの心で接待していると感じさせられました。
法師様からの、「極楽浄土は各自の心の内に有る」という言葉は、深く印象に残り感激しました。再度佛光山寺を訪問し、今回接待を受けた感謝の意と御礼が少しでもできたらと思っています。
佛光山寺の四つの宗旨
 一、 文化による佛法の昂揚
 二、 教育による人材の育成
 三、 慈善にによる社会奉仕
 四、 修行による心の浄化
を自宅に戻り思いだし、今回の旅は感慨深い旅でした。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「均頭小中学校の生徒は羨ましい」

均頭小中学校を訪問した時、初めて訪れた気がしませんでした。私自身中学から筑波大学の試験的学校に一期生として入学し、親元を離れて寮生活を送った経験があるからです。
少年は教育の仕方によって無限に成長するし、少年時代の経験は一生を左右するといっても過言ではい。真に正しい教育、文化、道徳を教え、様々な貴重な体験(愛別離苦)をさせ、人に施す人間になるよう教えることが大切である。
世の中はすべて「空」であるという佛教の基本を教え、目標を高く持ち、達成に向かって弛まぬ努力を続ける。佛光山寺の佛教教育はまさしく本物教育であり、台湾に留まらず、世界中に佛教小中学校を広めて頂きたいと思う。そのような環境で勉強をしている均頭小中学校の生徒は羨ましい限りである。
<佛光世紀6号>

「星雲大師生誕法會参加の旅」 参加会員の感想報告


「台湾お寺廻り初参加」

台湾の旅でお寺廻りの本格的参加は初めてでしたが、とても楽しく、有意義な旅でありました。
日程行動順に感想を述べます。(以下、日程と訪問先、訪問先での感想を端的にまとめられており)、最後に、四日間の台湾での訪問先感想を記しましたが、このような文化に触れる機会がありましたら、今後も是非参加したいと思います。
<佛光世紀6号>

星雲大師生誕法會参加の旅


星雲大師生誕法會に日本大和協會より慈怡指導法師、妙耀法師と会長の先導により、総勢18 名が2005年8 月25日~8 月28 日の3 泊4 日の日程にて、高雄にある佛光山寺本山に行ってきました。今回の旅では、慈怡法師、会長のお計らいにより、大師生誕法會の後は、台南、台中、台北の佛光山寺のお寺や施設を見学することができました。初参加の方や2 回目、3 回目の方もおられ、本山以外のお寺や施設を見学するのはほとんどの方が初めてであり、大変貴重な体験をすることができました。
<佛光世紀6号>

2005年国際佛光會青年会議トロント大會報告



「青年會議」が2005年7月20日~23日の日程でカナダのトロント市で開催された。
大和協会からの参加は2名で、私は他の同行者より一日早く出発したが、20分遅れの成田出発、早々にいやな予感!?ニューヨークに着いた時点でトロント行きの出発時間!おまけにテロの関係で、一度アメリカに強制入国。何とか次発の便への変更も束の間、なかなか飛ばない?と、突然キャンセルの案内、結局その日はニューヨークで一泊、トロントに着くまでこの他にも旅行トランクのトラブル等いろいろあり、最後の最後にトロントのホテルで休めたが、結局翌日出発の他の同行者より7時間早く着いただけだった。
会議では、カナダ、ブラジル、ニューヨーク、シンガポール、韓国等各国青年会長始め前回の本山大会で知り合った仲間との再会に喜びもひとしおだった。「総勢350人の参加」で、オープニングセレモニーやパーティが盛大に開催され、その他各国各青年会の劇の発表会やバスケットボール大会、精進バーベキュー(大豆製パテのチーズバーガーが最高)等久しぶりに10代(気分だけ)を味わった。記念撮影では大阪協會の方々と4人で浴衣姿で挑み、各国からも個別写真をせがまれ、一時スター気分を味わった。毎日、朝は6時から夜の9時迄公式スケジュールが一杯でその後、プライベート交流が深夜2時迄続き、おかげで日本に戻ってからも二人は時差ぼけとは無縁であった。佛光山では、青年に広く門戸を開き、決して怒らず、皆と活動を共に楽しみ、時には法師さんと一緒にゲームや、身上相談等をしたりして、自ら感じ取って貰うのが一番良いとの方針をとっている。
法師さんが敷居を低くして我々と同じ視線で迎えてくださることは、なんて素晴らしいことか。
人は他人に指図を受けるより、自ら気づいた方が同じ過ちを二度と犯さないと思う。私たちは、日本のオウム真理教事件以来、宗教全般が敬遠されているが、真の宗教を教え広めて行くことが重要だと発表した。総括では慈容法師が次の様に纏められて會議を締めくくった。

1.2006年は青年會10周年で記念誌作成。 (記念大会は8月台湾で世界大会と同時開催。)
2.青年會は国連にNGO として認可済。英語圏支部が国連会議に参加。
3.青年會ウェブサイトの刷新。中国語、英語の2ヶ国語体制に。
4.仏教2000年の歴史を引き継ぎ、人に功徳を施し、慈悲の心で平和な世界を築く事が我々の人生の意味である。
<佛光世紀5号>

伊香保本山予定地の自然観察会報告


2005年7 月31 日、伊香保の本山予定地に約20 名の会員が参加し、自然観察会が開催されました。
当日は天候にも恵まれ、すがすがしい空気の中で約1 時間半予定地を散策し、植物を中心とした自然観察を行いましたので、今回はその自然観察内容をお知らせいたします。
観察された植物は木、草、シダ植物などを合わせて約120 種類余りでした。主なものとして、クリ、オニグルミ、コナラ、アカマツ、フジ、サンショウ、マタタビ、ノブドウ、ノイバラ、ヤマブキ、ヤマノイモ、フキ、ウド、ススキ、ヨモギ、ワラビ等や、ビールの原料となるホップ(カラハナソウ)、戦時中下仁田町で衣服の原料として採集していたアカソ、ニュージーランドで中国産のものがキウイフルーツに改良されたサルナシ、かつて和紙を作る際の糊として用いられたノリウツギ等の生育も見られました(和紙の原料となるコウゾは今回確認されませんでした)。
また、ミズキ、クマシデ、アブラチャン等の木が花や実をつけていて、タマアジサイも丸い玉を葉の上に出し、開花の準備をしていました。キイチゴ類もあり、ナワシロイチゴの赤く熟した実を採って食べることもできました。「秋」になると紫色の可憐な実をつけるムラサキシキブや赤い実のなるガマズミ、紅葉が美しいイタヤカエデやヌルデ、そして実を採って食べることのできるオニグルミやマタタビ、サルナシ、ノブドウ等が私達を楽しませてくれるでし
ょう。「春」にはエイザンスミレ、タチツボスミレ等のスミレ類が林床に紫色の花をつけ、ヤマブキやヤマザクラ、コナラ、ヤマハンノキ等の花も咲き誇ります。フキやワラビ、ウド等の
山菜を採ることもできます。
このように本山予定地は、私達に四季折々の自然の産物を楽しませてくれる場所です。
「薬草」としては、ブームとなったアマチャヅルの他、アオツヅラフジ(リウマチ、鎮痛)、イタドリ(便秘、蕁麻疹)、イノコズチ(利尿、強壮)、オトギリソウ(切り傷)、オニグルミ(強壮)、キンミズヒキ(下痢)、ゲンノショウコ(下痢)、スイカズラ(熱、口内炎)、ニワトコ(発汗、利尿)、ヌルデ(下痢、咳)、フジ(緩下剤、胃がん)、ヘクソカズラ(しもやけ、あかぎれ)、マタタビ(冷え性、むくみ)、ヤマノイモ(滋養強壮)、ヨモギ(肩こり、止血)等がありました。本山予定地には恐らく「400 種類位の植物が生育している」と思われますので、今後観察会を続けていくにつれ、更に色々な薬草や食べられる山野草がでてくることが期待されます。何れにしましても、自然の記録を定期的にとると共に会員相互の親睦を深めて、「山野草の食事会」等の企画へと広がることは素晴らしいことだと思います。会員の中には「きのこ」に詳しい方もおられるようですので、今後も様々な催しを継続して行っていくことができればと思っています。
<佛光世紀5号>

國際佛光會日本大和協會( BLIA YAMATO CHAPTER JAPAN )

「佛光普く三千界を照らし、法水常に五大洲を流れる」は國際佛光會世界総会創会会長である星雲大師の佛教に対する理想と念願である。1990年、台湾で「中華佛光協会」設立を企画し、1991年に台北市国父紀念館で発足しました。翌年5月、国際佛光会世界総会及び第一回会員代表大会をアメリカ・カリフォルニア州の西來寺で行われました。南北伝・顕密教の僧俗、三十余ヵ国、五十余地区の代表がこの画期的な大会に参加しました。大会で星雲大師は世界総会長に就任しました。また、大会は國際佛光會世界総会の組織規則・宗旨・活動計画なども取り決められました。

星雲大師は釈尊の言葉「宇宙を中心として」を佛光会の基礎理論としています。この佛光会では、地域・国籍・種族などのあらゆる区別をなくし、世界中に佛法が栄えるように、会員たちはこの会での佛教活動から心を清め、「佛光浄土」の建設を求めています。

國際佛光會世界総会が成立して以来、その組織は拡大の一途にあります。現在世界各国・地域ですでに数百の協会を有しております。日本にも東京佛光協会・大阪佛光協会に継いで、日本大和協会は2004年9月、台湾佛光山にて総会長星雲大師が自らの主催で成立されました。当協会の所在地は群馬県でありますが、会員は群馬県に限らず、東京・埼玉・大阪・京都・兵庫等各地からも加入されています。当協会の主な会員は日本人であり、会長を筆頭に、幹部15 名は全員日本人であることが、その特色です。

当協会は國際佛光會の宗旨に従って、主に日本の友人・有志者に佛光山星雲大師人間佛教の理念を伝え、「人々に人格の向上、心が豊かになる」ことを会員一同図っております。また佛教の存在の重要性について、益々その存在をこの協會の会員から高めています。2005年10 月には「日本大和協會の1 周年」になります。当協会も会員が100 名を超え、ゆっくりではありますが、徐々に大きくなっています。日本大和協會1 周年を迎え、様々な企画にて会の発展を目指しています。國際佛光會は皆様のご参加を心より歓迎し、共に平和で楽しい未来を作ることを念願しております。
<佛光世紀5号>

2007年8月29日水曜日

大阪協会文化祭参加報告


大和協会として大阪佛光山の「佛誕節潅佛会」と「2005 年佛光文化祭」の催しに参加しました。2005年5月14日早朝、新緑のまばゆい好天に恵まれ、中央道と東名道から二手に分乗して出発し、夕方6時頃に無事大阪佛光山寺のある宝塚市に到着しました。到着早々、永平指導法師と大阪協会の皆様の暖かいお迎えをいただき、一同大変感激いたしました。2005年5月15日は予定通り、「佛誕節潅佛会」と「佛光文化祭」が行われました。「佛誕節潅佛会」は荘厳な大雄寶殿で多数の来賓や会員の出席のもと盛大に催され、来賓として慈怡法師、会長も挨拶されました。慈怡法師の挨拶では、伊香保の総本山計画の実現に向けての強い意志を示されました。会長からは今回の参加は大和協会としても大変に参考になり、今後も両協会の交流を図っていきたいとのお話がありました。
午後からはいよいよ文化祭!庭園では各協会や分会が趣向を凝らした模擬店を開きました。青年部会、神戸分会、東京協会、台湾同郷会、勝鬘書院、中央分会、台商会、西区分会と大和協会の9グループの参加でした。大和協会は大阪協会会長の計らいで、庭園中央の一番良い場所に開かせて頂きました。会長夫人、妙耀法師が中心となって群馬県下仁田特産のこんにゃくを刺身と田楽で楽しんで頂く趣向です。「佛誕節潅佛会」開催前に、一同大和協会揃いの「法被(はっぴ)」に身を包み、会長夫人の指示のもと、手際よく模擬店の用意を終えました。潅佛会がお開きになると、参加者が庭園に溢れ、あちこちで楽しい歓談や笑い声が響き沢山の輪が出来ました。大和協会のこんにゃくも、清涼な食感が人気で、早々と売り切れがでる状況で完売しました。会長も売り手の先頭に立たれ、日頃見られない光景で、楽しいひと時となりました。その後、大雄寶殿で参加者の抽選会が行われ、当選番号が出るたびに歓声が沸き、理事が当協会でただ一人星雲大師の書籍を引当て、大きな拍手を頂きました。その後、永平法師から参加団体への感謝状等、和やかで楽しい雰囲気の中、閉会となりました。
別れ際には慈怡法師を慕い、涙を流して歌う大阪協会の皆様を後に何時までも名残はつきませんでした。大阪協会の皆さん、2日間、本当にありがとうございました。

2005年5月16日は名古屋の地球博の見学となりました。この日も快晴に恵まれ、万博会場は大勢の人で賑わいました。短時間でしたがいくつかのパビリオンを皆で楽しく拝見しました。今回の訪問で、大阪協会会員皆様の活動の広がりが「人間佛教」のもと、確実に発展しているの
を目のあたりにしました。我々大和協会も大いに参考にさせていただき、少しずつでも着実に輪を広げ、日本大和会を発展させていきたいと感じさせられました。
<佛光世紀4号>

心定和尚群馬県伊香保来訪


2005年5月27日に心定和尚が、日本総本山建立予定地の伊香保の地を訪れました。
昨日の下仁田での講演を終えて10時過ぎに高崎のホテルに泊まり、朝9時には伊香保の予定地に着きました。毎日の講演や旅の移動の疲れも見せずに、総本山計画図を眺めて、様々なアイデアや助言を慈怡法師や会長に歓談しておられました。それから計画地の中を散策したいとのご要望があり、ウグイス等の野鳥がさえずる森林の中に先頭をきってお進みになり、自生している野草や木々を眺めて、自然の雰囲気を満喫しておられました。途中、この地にはワラビやフキ等の山菜と、栗の木があることに注目し、この御山に生息する動植物の記録を開発前に撮っておき、総本山開山後の貴重な資料となる等の、日本総本山建立への熱い思いと、暖かい指導を慈怡法師や会長にお話されておりました。
この日は天気も良く、気温も暖かく、心定和尚が先頭に立ってどんどん御山の中に入り、総本山予定の地形や眺めについてじっくり観察し、1時間程の散策を終えて、次の講演予定の埼玉県川口市に向かいました。
心定法師と一緒に御山での散策は、とても貴重な助言を頂くとともに、心定和尚の暖かい気配りと、総本山計画への強い意思を、同行という貴重な体験により得ることができ、とてもすばらしい感動のひとときでした。
心定法師は、来年の桜の季節にもう一度来たいとのお話があり、来年の春に心定和尚を囲んでの桜の花見が、会員一同と体験できることを楽しみにして待ちましょう。
「来年の春には、心定和尚と伊香保の御山の散策と桜の花見を日本大和協会一同で参加しましょう」
<佛光世紀4号>

2007年9月行事予定

2007年 9 月 15日 供修禅(10:30~)
           写経会(13:00~)

        16日 慧寛法師講演会(憩いの森 14:00~)

       19日 梵唄(13:30~)

       23日・24日 日本各協会幹部講習会
      
       26日 第3分會主催活動

       30日 報恩會(13:00~)於伊香保

          

2007年8月行事予定

2007年8 月 8日 梵唄(13:30~)

      19日 理事懇談会(14:00~)

       22日 第2分會主催活動(18:00~)
          伊勢崎市文化会館中会議室
    
       25日 供修禅(10:30~)
          報恩會(13:00~)

2007年8月8日水曜日

心定和尚 群馬県下仁田布教所 来訪


2005年5月26日に佛光山寺第六代住職でありました心定和尚が、群馬県の下仁田布教所に来訪しました。日本に来たのは実に3年ぶりとのことですが、日本各地での講演スケジュールの忙しい中、日本総本山建立の地である群馬県の下仁田布教所(日本大和協會)に時間を割いてご来訪頂きました。
心定和尚は、東京での講演を終えて東京佛光山寺の覚用法師、如昱法師、如兆法師や東京協会会長夫妻、前東京協会会長らと来られました。
心定和尚をお迎えしての講演は、午後7時~8時30分と午後の遅い時間となりましたが、日本大和協会の会員40~50名の参加を頂き、盛大な歓迎をすることができました。歓迎に当たっては、慈怡法師、妙耀法師、日本大和協会会長夫妻、大和協会幹部の方々の協力により、すばらしい歓迎会場ができました。最初に日本大和協会を代表して、会長に歓迎の挨拶をして頂きました。
心定和尚の講演に先立ち、通訳として東京協会の督導様にご足労願い、大変分かり易い通訳をして頂き、本当にありがとうございました。心定和尚の講演は、最初は「人としての生き方や考え方」について一つの例にたとえて、分かり易く、簡潔に説明して頂き、佛教とは難しいものでなく、日常生活の中に「佛教の広さ、深さ、優しさ、平等」といった佛光山寺が進める「人間佛教」の暖かさを直に感じることができました。 また、心定和尚の要請でボード板を用意し、ボードに漢字を書きながらの講演は、「目」で見る漢字の意味と、通訳で聞く「耳」の意味の相乗効果により、講演内容はとても分かり易いものとなりました。その中では、「因」と「果」の「縁起の教え」について具体的にボードに漢字を書きながら私どもに説いてくれました。後半は、日本でも馴染みの多い「般若心経」の第一節「観自在菩薩」と第二節「行深般若波羅密多時」について、一字一字の意味する内容を分かり易く説明頂き、予定時間を延長しての熱意に、会員一同本当に感激致しました。
般若心経は、「大般若経」を260文字に集約した」すばらしい教典であり、「今度群馬に来たときにこの続きの説明をしましょう」との約束にて講演を無事終えました。最後に、慈怡法師のご挨拶を頂き、心定和尚より会員一人一人に記念品を手渡しで頂き、感激も一層大きいものになりました。
<佛光世紀4号>

2007年8月7日火曜日

大阪協会の伊香保訪問記


大阪佛光山寺の永平指導法師と共に大阪協会の方42 名が、2005年3月19日早朝に下仁田布教所に来訪しました。大阪協会の方は、2005年3月18日の夜10 時に大阪を出発し、夜行バスにて下仁田に朝7時45分に到着しました。日本大和協会の方も布教所の前にて「歓迎の歌」で出迎えました。夜行バスにて大変お疲れにも関わらず、皆さんが私ども大和協会の出迎えに心暖かく感謝の気持ちでお応え頂き、佛光山寺の「人間佛教」の実践を深く感じることができました。
この日は快晴となり、風もなく、寒さも緩み、朝食は布教所の庭にて暖かい食事をとりました。今回の大阪協会の方々への食事は、会長夫人が徹夜にて用意したとのことで、私ども大和協会としても、会長夫人に感謝の気持ちに絶えません。朝食後は、大阪協会との交流会にて意見を交わし、今後の佛光山寺の発展と大阪協会並びに日本大和協会の発展をお互いに約束しました。その後、永平法師より記念品が日本大和協会の会長に手渡されました。
昼食後、伊香保の「卯三郎こけし」工場を見学し、それから水澤観音寺を見学して、日本総本山予定地に向かいました。建設予定地には夕方4時頃に到着し、寒さが強くなってきているにも関わらず、全員が御山に向かってお経を唱えている姿は、とてもすばらしい光景でした。また、現地の倉庫に掲示している施設の概要図や計画図を眺めながら、工事の着工は?完成は? といった質問が皆様から飛び出し、楽しみにしています!また必ず来ますよ!日本大和協会の皆さん、慈怡法師と協力してすばらしい日本総本山を作ってください!との 暖かい励ましがありました。
<佛光世紀3号>

2007年8月6日月曜日

地域交流報告


2005年2 月19 日(土)私たちは、慈怡法師様と共に 伊勢崎市と国際交流伊勢崎21 という団体が主催する「国際化・シンポジウム」に参加しました。
このシンポジウムの目的は「外国人と日本人」が国を越えお互いが真に人格を尊重し合い、歴史や文化を共有し すべての人が明るく安心して暮らせる伊勢崎市を目指す という集まりです。 伊勢崎市長さんの挨拶の中で、伊勢崎市に在住する外国人は1 万人を越え群馬県下で在住外国人の最も多い市(地域)になったことを強調しておられました。この事により行政の立場としても多分野において問題提起する事となりこの様な取組みが必要になった事と思います。この傾向は、群馬県に限らず他県においても同様であろう。 日本は今後益々 多文化共生の社会が進むであろうし、その中でお互いの歴史・文化等に理解を深め合い、共生の道を模索するという姿勢が求められるであろう。パネリストは、ボランティア団体・行政・地域・教育・法律の分野から外国人2 名を含む6 名が中心となり3 時間熱弁をふるった。又、アトラクションでは 台湾山地族の踊りを 当協会員が中心となり披露しました。当協会員の聡明なお嬢さんがこの振付けをしたそうで、拍手喝采を受けました。
2005年2 月20 日(日) 慈怡法師様は 日本中華聯合総会群馬総会の新年会に招待を受けました。 開会の挨拶に立った群馬総会長さんは、伊勢崎市で開業する医学博士で在日も永く、流暢な日本語を話される温厚で人望を集める会長さんです。
私たち日本人に気遣ってか終始日本語で話され、台湾では、旧暦の正月(2005年は2 月9 日)を祝うので 2 月中はまだ新年であることを にこやかに話されました。そして、2004年末に中国全人代常務委員会で討議された「反国家分裂法」について話されました。日本在住の台湾同胞を代表して、日本中華聯合総会は、反対声明を発表した。この反国家分裂法は、明らかに台湾が自主独立を主張した時、合法的に武力行使を正当化するというものです。こうした中国のやり方は、「民主」の普遍的価値と原則に反し、台湾の民意・人権を無視した悪法であることは明らかで、絶対に認めてはならない。「陳水扁総統は、昨年五月二十日の就任式において、もし 両岸が善意に基づき、平和な発展と自由な選択を行える環境を共同で築くことができれば、台湾と中国の間でいかなる形式の関係にせよ、国民が同意するならば、いかなるも排除せず。」と話しているとおり、柔軟な姿勢をみせた矢先の横暴である。と 熱ぽく説明されました。 古今東西 政治的思惑がいき過ぎた為に、多くの命が犠牲となる歴史を人間は繰り返しています。しかし 古く日本では、仏教を「国家の帰」と位置付けしたのが聖徳太子であります。その太子が作成した憲法17 条の第二条は「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏法僧なり。即ち、四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人か、是の法を貴ばざらん。人はなはだ悪しきもの鮮し。
能く教ふるをもて従ふ。それ三宝に帰せざれば、何を以てか枉れるを直さん。」と 結んでおります。
我々は社会生活をする中で、是非・善悪・損得等といった判断をします。その判断の物差しとして、不変の教え、不変の物差しである仏教の思想を政治に反映させた人物であったと思います。 太子の心には、政治家は世間に迎合するのではなく、世間を超越した「不変の価値」を持ち、それがあってこそ、世間の歪み・問題の是正ができる。と考えたからです。対話と強調の立場を深め、平和的に解決してほしいと願うばかりです。
慈怡法師様は、来賓の挨拶にたち 「因縁生起」のお話をされました。会場に怡師父の声が広がっていくと、騷めきも消え 皆が熱心に聞き入り、会場内のムードが一変荘厳されました。お話が終わると盛大な拍手を受けました。又、改めて講演会をして欲しい等等お願いをされました。会場内は終始和やかな雰囲気で、歌や踊りも披露され話の尽きぬ中、閉会の時間を迎えました。
<佛光世紀3号>

佛光山花木奇石芸展


台湾高雄佛光山の本山が1980年より、毎年「春節平安灯会」を開催しております。年ごとにテーマを変えて行っております。その宗旨は、社会の一般大衆に春節の休暇中に、「お寺へのお詣り」や「見学」など心の癒すところを提供することであります。
2005年の特色は、「花木奇石芸展」という主題で、生命教育園区、山林原野区、花芸景観区、寺院叢林区などの四大区域に分けられ、それぞれに特色があり、合わせて十六大特色といわれています。
主題名称の中にある花は、「霊花」ということで、咲いている花は人々に「説法」するように、佛法の真意を示現しています。その花の種類は百あまりがあり、総数は百万本以上です。
一方、2005年は酉年である為に、佛光山が世界各地から石、水晶、鉄、紙、布、陶器、貝殻、ガラスなど材質不同の「鶏」を数百種類集めて展示されております。「主題鶏」の大きさは八米の高さです。鳴き声が雄大で、しかも「阿彌陀佛」「こんにちは」「您好」などの挨拶ができます。展示会では人気ものの一つとなっています。
<佛光世紀3号>

2007年7月31日火曜日

日本総本山建設予定地への訪問


2004年は、台湾より伊香保の日本総本山建設予定地への訪問が三回ありました。建設予定地には以前所有者の小屋と倉庫があり、その中に日本総本山の建設予定地の計画図面や建物の概略図面を壁に掲示して、訪問者に現地の状況と計画内容を説明しました。

 第一回目の訪問(2004 年10 月6 日:訪問者 34 人)
最初の訪問は、秋晴れの良い日になりました。台湾よりのご一行は、妙度法師を始め人間福報の方34 名が、先ず総本山の建設予定地の計画図等を見ながら慈怡法師らの説明を聞きました。その間、活発な質問があり、日本総本山への関心が大きいことが伺われました。
その後、隣接する水澤観世音を参拝し、伊香保町の名所である石段を体験して、水上町の温泉地に向かいました。

 第二回目の訪問(2004 年10 月31 日:訪問者 50 人)
二回目の訪問はあいにくの天候でしたが、50 人もの大勢の参加があり、慈怡法師の引導に、覺涵、妙蘊法師及び全員が御山に向かって『般若心経』を唱えた姿は、とても印象深いものでした。前回と同様に建物の概略図面を見ながら説明を聞いて、完成時期等の質問も多くありました。終わりにご一行は、水澤観世音、伊香保の石段を見物してから水上温泉に向かいました。

 第三回目の訪問(2004 年12 月20 日:訪問者 16 人)
三回目の訪問は、暖冬の冬晴れの一日でした。今回の訪問では、宿泊地を伊香保温泉塚越屋七兵衛ホテルにしましたので、早朝より伊香保の石段を体験し、それから水澤観世音を参拝して総本山建設予定地に到着しました。前回同様に、総本山建設予定地に向かって全員で『般若心経』を唱えました。また、総本山建設の予定計画を慈怡法師らの説明を聞きました。早朝には寒気が流れて寒い中、日本大和協會會長夫人が、お握りや善哉、コーヒー、お茶など温かいものを用意して全員を接待しました。

さらに、訪問者より新潟県中越地震への義援金を、多数の方々から頂きました。
<佛光世紀2号>

インドネシアスマトラ沖地震の義援金募集案内

テレビ・新聞等で既にご存じのことと思いますが、2004年12月26日午前8時にインドネシアのスマトラ島北端沖でマグニチュード9.0 の地震による津波で、スリランカ、インドネシア等で22 万人以上の犠牲者が出ています。
人類史上未曾有の甚大災害に対する援助に、国際佛光會が世界各国の信者に援助の協力を要請しています。先の、新潟県中越地震の義援金に続きまして再度の義援金募集のお願いで恐縮ですが、日本大和協會としましてもこの要請に応えるべく、會員皆様へ紙面にてお願いいたします。
義援金につきましては、取りまとめまして台湾の本山に送付し、本山より被災地に寄付されます。
<佛光世紀2号>

2005年1月度「報恩会」

2005年1月23日に「報恩会」を開催しました。1月の會員の誕生者は11名おりました。報恩会では、最初に慈怡法師を先導に「爐香讃」から始まり「南無本師釋迦牟尼佛」、「般若波羅密多心經」、「三皈依文」、「回向偈」のお経を唱えて始まります。それから、今月の誕生者に慈怡法師より記念品が手渡されました。報恩会では、慈怡法師より佛教に関する講話があり、「人間佛教の定義」に関する「三好」についてお話がありました。
1.説好話:口の修行
2. 做好事:身の修行
3. 存好心:心の修行
この「三好」の話を大変分かりやすく講話され、参加した會員一同心洗われるお話でした。
<佛光世紀2号>

2004國際佛光青年会議に参加して


2004年12月30日~2005年1月2日の4日間の日程で開催される佛光青年会議に参加すべく年の瀬も押し迫る29日夕刻日本を発ち、高雄の本山に向かった。空港に着くと椰子の木のお出迎え、真冬だというのに昼間気温は25℃の南国の世界。右も左も判らない私を佛教学生が私の事を待っていてくれ、勧められるまま車に乗り込んだ。エンジンがいつ止まっても不思議でないワンボックス車に揺られること約50分、河岸の高台に聳える本山に着いた。マレーシア、アメリカ、カナダ、オーストラリア、韓国、ブルネイ、イギリス等世界各地から約500人の青年が集まっている。いきなり佛光會の規模に圧倒される。
先ず部屋に通され荷物を置き、受付で手続きを済ませ、大和協會は私一人なので東京協會、大阪協會に合流させて貰った。昼過ぎから、幹部による次回開催国決定会議、開幕式、星雲大師法話{佛光理念}、「仏の光は三千世界を照らし、仏法は五大州に伝わる。物欲、金銭欲等5欲を捨て、報恩感謝の念を持つ人間が世界に広まれば、争いのない素晴らしい世になる。その為には最新メディア媒体を利用し、若年層が自然に仏の教えを受け入れられるよう駆使していく。」との大師のお考えでできた、大師自らの作詞、ナレーション入りイメージソング発表会と慌しく一日が過ぎ、22:30本山での初日が終わった。
 2日目の31日は5:30起床、6:00から早課(朝のお勤め。)
早朝の真っ暗な大雄寶殿(大仏殿)で全員が阿弥陀如来の前でキャンド
ルを翳したスマトラ沖震災祈祷は厳かで神秘的な雰囲気であった。早操(体操)7:00朝食。
その後、佛光山寺組織の説明、心定和尚の講話、國際佛光會の将来像等、認識会議が続き、会議続きの2日目が終わった。その後、自由参加で日程外のカウントダウンが行われ、A HAPPYNEW YEAR!韓国団が踊れば、マレーシアも自国の踊りでお返しする、カナダが大国旗で応援する。世界が一つになった瞬間だった。
 3日目の1日は青年団グループ討論で、青年會を盛り上げる方策、日常活動報告、生前佛教の実践について討議し、夜は各国青年団の佛教を題材にした歌踊りの発表会があり、各国一年懸かりでの成果を存分に披露していた。優勝はマレーシアで、下は小学校低学年からいる総勢40人程の大集団。全員が鳥や動物、花、太陽、阿弥陀様に扮し、老若男女皆仲良く佛陀のもと大合唱する歌と踊りだった。4日目の2日は全体発表、次回開催国発表(トロント)があり、500人の仲間はトロントでの再会を誓い元気良く各国に散っていった。2005年は開山40周年のプレイヤー。2006年はいよいよ記念すべき年、いずれは大和協會でも青年団を発足させ、大集団で一大パフォーマンスを披露したい。慈怡法師、妙耀法師という恵まれた偉大なる指導法師の下、発展にはまずは會員全員で一致協力し、更なる努力の必要を改めて痛感した會議であった。
<佛光世紀2号>

新潟県中越地震義援金お礼

新潟県中越地震の義援金につきまして、寄付をお願いしました読売新聞社より、2004年12月10日に「お礼」と「御預かり証」を頂きました。
<佛光世紀2号>

日本大和協會の顧問に水谷幸正先生が正式に就任


日本大和協会は2004年9 月に発足し、會員の多数は日本人ですので、前京都佛教大学学長の水谷幸正先生を顧問として要請し、正式に就任することになりました。
水谷先生は佛光山とのご縁が三十年以上もあり、慈怡法師留学時代の恩師でもあり、慈怡法師の要請に水谷先生は慈悲深く快諾していただきました。2004年12 月26 日、下仁田の日本大和協會にて12 月の「報恩会」を開催した際、水谷先生は多忙中にも関わらず御臨席頂き、12 月の誕生者に祝福の言葉と貴重な講話を頂きました。
<佛光世紀2号>

2007年7月30日月曜日

佛光山第七任住職晋山式


1985年の9月22日、佛光山開山星雲大師が正式に引退して、住職の座を首座弟子心平和尚に譲りました。佛教の法脈傳承及び住職遴選制度を一つの典範として世に残されました。2005年の1月16日,佛光山は第六任から第七任への住職交替の儀式を盛大に開催されました。心培和尚は臨濟宗第四十九代の法系であり、前心定和尚より法卷、錫杖、香板、衣、缽、具等の法物を渡されまして、佛光山の新任住職になりました。
<佛光世紀2号>

2007年7月4日水曜日

韓国釜山協会1周年法会参加報告【四日目】


  【四日目:10月30日】

帰国の日は飛行機が夕方のため時間があり、午前中は国立慶州博物館に行きました。この博物館では、慶州新羅の文化遺跡を多く展示しており、古代から近代までの歴史的出土品や仏教彫刻、金属工芸品等が展示されていました。また、韓国の代表的な梵鐘である聖徳大王神鐘(一名 エミレーの鐘)も展示されていました。
展示物は約2500 余点にのぼり、博物館の全所蔵品は10 万余点を数える、慶州でも屈指の博物館でした。
釜山市内を一望できる竜頭山公園の釜山タワーにのぼり、釜山港や市街地を眺め、竜頭公園前にて記念撮影をとりました。
また、短い時間でしたが、韓国の勢いと活気みなぎる国際市場に立ち寄り、釜山最大の市場にて衣料品から靴、かばん、眼鏡など、さまざまな品が所狭しと立ち並び、日本の上野にある「アメヤ横町」を連想しました。
最後に、金海国際空港では、弘法寺の深山和尚と金秘書がわざわざ空港までお見送りに来られました。今回の交流会では、到着した日の歓迎と帰国日の心使いと、釜山協会の暖かさを強く感じました。
また、深山和尚より大和協会に弘法寺での子供の修行写真のパネルを頂き、下仁田の道場に掲示しています。
<佛光世紀 1号>

韓国釜山協会1周年法会参加報告【三日目】


  【三日目:10月29日】

釜山協会1周年法会参加を終え、三日目は新羅千年の歴史的な国宝遺跡である慶州の「石窟庵」と「仏国寺」を参詣してきました。吐含山石窟庵の山門前にて記念撮影。この山門から奥の石窟庵までの参道を秋の陽ざしを受けながら、ゆっくりと景色を満喫しながら歩きました。
石窟庵では、慈怡法師と妙耀法師が「石窟庵」の中に入られ、内部の「石窟庵本尊仏 釈迦如来座像」を直接参拝し鑑賞されました。標高の高い石窟庵より下に位置する「仏国寺」にバスにて移動し、仏国寺山門前で記念撮影しました。仏国寺は今から約1500 年前に創建され、華厳仏国寺または法流寺と呼ばれ、仏国とは「全てが完全に備わった安楽と清潔な国になる願いが込められた意味」。
今回の1周年法会参加に際し、弘法寺が所有するバスにて送迎から慶州のお寺参拝等と、大変お世話になりました。韓国交流会の最後の夜は、弘法寺の深山和尚による韓国の精進料理をごちそう頂き、夕食後は海雲台の浜辺にて夜景と花火にて韓国の最後の夜をゆっくりと満喫出来ました。
<佛光世紀 1号>

韓国釜山協会1周年法会参加報告【二日目】


  【二日目:10月28日】

ホテルよりバスにて弘法寺に向かいました。弘法寺は農園や菜園であった約15,000 坪の土地であり、倉庫を改造した仮本堂にての布教活動を行っています。
本格的な寺院は行政のグリーンベルト(緑地確保)の規制等の申請協議を行っており、将来的には30階建の高層ビルを敷地中央に建立し、周囲を庭園にしたいとの構想が深山和尚よりありました。一周年法会に先立ち、本山の心定和尚並びに伊香保佛光縁の慈怡法師が参加に際しての記念記帳を行いました。弘法寺では、深山和尚の案内にて心定和尚と日本大和協会参加者が邸内を散策しました。
一周年法会当日は天候に恵まれ、日差しも強く参加者の大半は頭にタオルなどの日光と暑さ対策をしていました。後で、日本の扇子に似た組み立て式の日除帽子が配られ、大変重宝しました。また、会長が釜山協会に寄附した「桜の苗木千本」の発表では、会場内より盛大な拍手と歓迎を受けました。
さらに、弘法寺の土地と寄付金を提供しました夏道女史(82 才)が紹介され、心定和尚より感謝の言葉と記念品等が授与されました。
釜山協会1周年法会は、心定和尚を中心に弘法寺の深山法師や伊香保佛光縁の慈怡法師、日本大和協会関係者並びに釜山協会員の参加により、盛大な式典となりました。
今回の1周年法会の参加では、日本大和協会として夕方より開催される歓迎音楽会に、佛教の歌「願將衆生度」を手話にて披露する一大イベントがありました。参加者全員の方が手話は初めてであり、韓国に着いても時間があればバスの中や駐車場で練習をしていました。
大変な緊張の中での手話による佛教の歌は、会場より大変な歓迎を受け、アンコールのエールに日本の代表的な歌である「さくら さくら」を合唱し、会場内の雰囲気が歓喜に包まれました。夕方の音楽会は昼の暑さに比べ厳しい寒さとなりましたが、寒さを忘れるほどの感動と参加者全員の緊張感が感激に変った貴重な時間でした。
<佛光世紀 1号>

韓国釜山協会1周年法会参加報告【第一日目】


国際佛光会の「韓国釜山協会1周年法会」に日本大和協会が招待されまして、平成16年10月27日~30日の3泊4日の行程にて参加しました。参加者は群馬県伊香保佛光縁より慈怡法師と妙耀法師の参加を得まして、会長、副会長、及び大和協会関係役員による総勢11名の参加でした。

  【第一日目:10月27日】

出発は成田空港より大韓航空にて一路釜山に向かい、釜山の金海国際空港にはPM16:25に着きました。金海国際空港では釜山協会の会員による盛大な出迎えがありました。
空港からは、釜山協会が所有するバスにて宿泊先の農心ホテルに向かいました。今回の釜山協会との交流研修では、文女史が通訳兼案内人として4日間同行して頂きました。
農心ホテルでは「大韓佛教 曹渓宗 弘法寺 開院一周年記念」として、佛光山寺の心定和尚を招待しての歓迎晩餐会が盛大に開催されました。余興では、日本大和協会として日本の唱歌「さくら さくら」を披露し、盛大な拍手を頂きました。
また、会長夫人は日本の伝統である和服での参加がひときわ目立ち、韓国の伝統衣装のチョゴリと国際性豊かな歓迎会式典となりました。今回の一周年記念事業のお祝いとして、会長より桜の苗木「1000 本」を寄附することを発表し、会場から盛大な拍手と歓声が上がりました。また、心定和尚を囲んで、深山和尚、慈怡法師、会長、釜山市長他が記念ケーキに入刀をしました。
<佛光世紀 1号>

2007年7月3日火曜日

國際佛光會日本大和協會の誕生


群馬布教所に於いて慈怡法師、菊地会長の元で開催され、規約、人事、今後の活動予定等について発表されいよいよ動き始めました。
<佛光世紀 1号>

国際佛光會日本大和協會の承認


2004年9月初めに國際佛光會世界総会(第十次会員代表大会)が、台湾の総本山で開催され我々日本人が参加する機会が出来ました。その折、星雲大師より國際佛光會日本大和協會の設立が承認され代表として、菊地氏が理事長、会長として選任されました。
<佛光世紀 1号>

2007年6月14日木曜日

国際佛光會亜細亜聯誼会









2006年5月26日~28日 国際佛光會亜細亜聯誼会に参加しました

中華総会松山第五分会交流会










2006年4月19日 中華総会松山第五分会の方々が訪れ、群馬佛光山寺建設予定地を見学しました

2007年6月13日水曜日

日本大和協會伊勢崎法縁の会










2005年9月11日 日本大和協會伊勢崎法縁の会にて講演会を行いました

星雲大師生誕法会の旅










2005年8月25日~28日 星雲大師生誕法会に参加しました

2007年6月12日火曜日

韓国佛教聖地歴訪大師との旅











2004年4月21日 星雲大師と韓国佛教聖地歴訪を行いました

2007年5月25日金曜日

供僧法會 「星雲大師生誕80周年記念」


     「供僧法會に参加して」

2006年は開山40周年、大師生誕80年という節目の年、また、この様な時に本山行事に参加できることに感謝の念が尽きません。
8月14、15日の2日間、會長と参加しました。
13日(金)慈怡法師、妙耀法師と高雄に向かい、20時に高雄空港を降り立つ。近年の東京の蒸暑さに慣れてはいたものの、やはり南国、ムッとする。會長と合流し本山へ。
翌日、業林学院卒業式に同席しましたが、奨学金を受け卒業した学生が主で、厳しい境遇のなか、勉学の志を強く持った学生の晴れ姿は、近年の日本の学生にはなく妙に大人びて、しっかりとしていて、眼は遥か上を見据えていたのが印象的でした。
佛光の夜では、佛光山の支援(既に寺院等も設立している)で今回初招待を受けたアフリカの子供達約20名が3カ国語で佛教歌を披露して拍手喝采を浴びていました。
夜は今回だけ特別に花火が打上げられ、記念行事に華を添えていました。
14日最終日は、5時から本年恒例の朝山(不二門から大雄寶殿まで心倍和尚を筆頭に1時間30分かけての三顧の礼?をしながらの礼拝行進)。終わると會長も体から湯気を出しておられましたが、邪念が払われたのか清清しい気持ちになりました。
大師80歳を祝う供僧斎宴(宴席)では、昨夜のアフリカの子供の芸を始め、各国協会の有志披露を鑑賞しながら豪華な粗食を大師と供に頂きました。
来年から大師は表舞台を控えられるとのお話もあり、いよいよ佛光山寺も第二ステップに入り、「佛光普く三千界を照らし、法水常に五大州を流れる」という大師の教えを基に、後世においても佛光浄土の益々の繁栄を願って止みません。
<佛光世紀 特集号>

台湾の刑務所へ『人間福報』を寄付

2006年、日本総本山群馬佛光山寺建設予定地を訪れ、大和協会と親睦を深めて頂いた中華総会松山第五分会と共に、刑務所に人間福報(日刊紙)を送る活動に参加しました。“囚人が刑期を終え社会復帰する為の良書としての役割を果たす”として、喜んで頂いております。
<佛光世紀 特集号>

「水谷幸正先生講演会」出席会員の感想報告


    「有意義であった講演会」

水谷先生は仏教大学の教授、学長を歴任され、現在は浄土宗の宗務総長を務められる傍ら、マスコミにも登壇される等、日々多忙な方であられるとの事でした。そのような高名な先生が群馬県に来られ、講演をされること自体が極めて有難いというお話をお伺いし、国際佛光會を通じこのような機会を与えて頂けたことは誠に有難く、講演を快諾して下さいました水谷先生をはじめ、関係各位のご尽力に心から感謝と敬意を表します。
講演の冒頭、水谷先生が国際佛光會との縁について述べられました。私はそのような先生が何故宗派を超えて国際佛光會の顧問をなされているのか関心がありましたが、先生が「自分は井の中の蛙であった」と述べられとき、ご謙遜であられることは承知しながらも驚かされました。水谷先生は国際佛光會が仏教を世界に広める活動を行っていることを知り、感動したと仰られました。私は水谷先生が国際佛光會の活動を評価して下さっていることに感謝の念を抱くと共に、水谷先生が心の広い方で、仏教を本当に大切になされている姿を垣間見ることができたことに、より大きな感動を覚えました。
さて、講演は「生と死」という題でした。このような緊迫感があり、かつ物事の本質を突く演題は水谷先生であられるからこそ話すことができ、また現代社会に対する警告も含んでいると思い、心静かに拝聴させていただきました。水谷先生は「仏教は死を先取りして生を考える」と仰られました。これは「死」があるから「生」があるということで、「死」について深刻になればその反対にある「生」の意味がとぎすまされ、逆に「死」が自分から遠いものになれば「生」の意味も薄れるということだと思いました。命の大切さが叫ばれる現在、これは重要な指摘です。また、水谷先生は「必ず死ぬということを頭でなく腹で覚えてもらいたい」と仰られ、「人として生まれたこと」、そして「今、命があること」が有難いものだと力説されました。貴重な今を生きているという自覚のなかった私にとって、水谷先生のお話は本当に考えさせられました。
水谷先生は加えて人の生き方についても言及して下さいました。人には様々な生きがいがあり、私達はその生きがいを持ちながら人生を歩んでいくというのです。そして、人生は60歳、70歳を過ぎてからが本当のエリートコースで、それに向かって歩んでいくことが大切であり、エリートコースに入っていくのが人生の醍醐味だと諭して下さったのです。これは水谷先生のお話しに反省することしきりの私に希望と方向性を持たせて下さいました。
最後になりましたが、今回の水谷先生の講演は時宜を得て、私の心と行動を正す意義深いものとなりました。今後も水谷先生がご健康でより一層ご活躍なされることをお祈りすると共に、国際佛光會の益々の発展を心より祈念いたします。
<佛光世紀 特集号>