2007年8月31日金曜日

「本栖寺座禅會参加の旅(2005年10月28日~29日)」 参加会員の感想報告


「無常とは?」
座禅中は頭を空にしてと、思うのですがなかなか長時間は難しくほんのひと時そんな時を感じられるだけでした。座禅をすることで頭を空にしてなにも考えないでリラックスさせることが次への活力になるのではないかと思い始めて座禅への意識が高まったように思います。これも佛光山とご縁がいただけたからです。帰る時に、今日はあいにくの雨になってしまいました。と話したところ、「これは無常というものです。いつも同じではありません。ここにある自動車もいつまでも新しくはないし錆びたり壊れたりします。でも、無常とは、悪いことではありません」と、お話になりました。無常とは悲しいものと思っておりました。しかし、無常とは、悪い事ではありませんとのお話で、あっそうか、悪いこと、悲しいことも無常なのだと気づかされ、無常だからこそ前向きになれ希望も持てるのだと。良いときは浮かれていないで、また悪いときもくよくよしないで、世の中無常なのだからと思い生活しなくてはいけないのだなと思いました。


「雑念のありよう!」

今回は短い二日間の座禅会でしたが、私にとっては随分とためになりました。妙崇法師の指導のもと、静謐な禅堂で座禅を行いましたが、法師様が鼻先に意識を集中する事とか、息の暖かさ、出し入れなどのお言葉を聞いているうちに、身体の位置も定まり、自然と座す事ができました。慈怡法師に以前に教えて頂いた数息観を試みてある程度雑念を払い、安寧な気分の状態を維持することができました。最初の座禅が終わってくつろいでいるとき、法師様が息を見ることとおっしゃってくだされたのが強く印象に残りました。喫茶座談会で慈怡法師から、せっかくの良い機会なので、身と心を一つにして会に臨むようにと指導され、なるほど雑念のありようとはそうしたものかと改めて思い知りました。また、座禅をすることで雑念があることを認識する事は良いことだともいわれ、物事の真の姿を捉えるために雑念を振り払い、安らかな状態になるための行いなのだと認識しました。二度の写経、早朝からの湖面に映る紅葉の中での自転車散策、いつもよりがんばっている自分を見ました。これも本栖寺の法師様をはじめ皆様の暖かいおもてなしのおかげと感謝しております。
<佛光世紀7号>